【シャニマス考察】百人一首のススメ
凛世のコミュを考察するために、百人一首や万葉集に手を出してみるのは非常に良い試みだと思います。凛世のコミュだけでなく、和歌の歴史に触れることは、非常に奥深く、面白いことですから。すでにお手元に歌集があるなら、それをぜひ読み進めていただきたい。ですが、凛世の元ネタを探るという意味では、お手元の歌集よりも、いいのがあるかもしれません。
さて、我らがアイドル杜野凛世は特技として百人一首を挙げています。
百人一首とは、鎌倉時代の初期を生きた藤原定家(1162~1241)が、宇都宮頼綱のために書いて送ったものとされています。宇都宮頼綱は藤原定家の息子の義理の父親にあたる人物。つまり、百人一首とは初めは、極めて私的な作品だったのです。
ですが藤原定家は「美の鬼」という異名があるほど、和歌に対する美意識が凄まじいお方ですから、この私的な作品はその中に、和歌の歴史や人物関係までをも含むことになったのです。そしてそれが後世に広がり、今ではかるた取りの競技にまでなりました。
ところで、一般的に百人一首といえば、定家が作ったとされる小倉百人一首をさすのですが、他にも同じ頃に成立されたとされる「百人秀歌」や、九代将軍足利義尚による「新百人一首」など、百人の一首づつを集めた歌集は数多く編纂されました。以下、この記事では特に断りの限り、百人一首は定家の小倉百人一首を指すものとします。
ところで、この百人一首に収録されている歌人で、凛世のコミュに引用されている例はどの程度あるのでしょうか。私が把握している限りでは下記のようになります。
(※モレがあればコメントで指摘いただければ幸いです)
・柿本人麿 「天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」 世界コミュ
・小野小町 「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを」
朝コミュ 2番(解説はこちら)
・元良親王 「詫びぬれば いまはた同じ 難波なる 身を尽くしてもぞ あはんとぞおもふ」微熱風鈴 みおつくし(解説はこちら)
・和泉式部 「とことはに あはれあはれは つくすとも 心にかなふ ものか命は」微熱風鈴 とことはに
このうち、歌人と和歌の組み合わせが百人一首そのままなのは、元良親王の「詫びぬれば」しかありません。柿本人麿と小野小町、和泉式部は、百人一首では別の和歌がとられているのです。
百人一首で採用されている和歌
三番 柿本人麿
「あし引の 山鳥の尾の しだりをの ながながし夜を ひとりかもねむ」
九番 小野小町
「花のいろは うつりにけりな いたづらに 我身よにふる ながめせしまに」
五十六番 和泉式部
「あらざらむ この世のほかの 想ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」
このように、凛世のコミュで登場する和歌は、百人一首に限ったものではありません。例を挙げれば、下記の通りになります。
・額田王 「漕ぎいでな」 優勝後コミュ
・紀野恵 「ゆめな忘れそ」 感謝祭
・与謝野晶子 「何となく」 凛世花伝 True
これだけ見ると、平安時代から現代に至るまで、幅広い時代から採用されている。「嗚呼、これでは予習なんて無理ではないか」。そう思いませんでしたか?私も思いました。ある歌集を見つけるまでは。
平成新選百人一首
これは、文字通り平成の時代(2002年)に編纂された、とりわけ若い人々を中心に、古典に親しむ切掛を提供することを目標とした歌集です。この歌集には、遥か古代のスサノオノミコトの和歌から、昭和天皇の御謹製までが収録されています。一方、小倉百人一首に収録されている和歌は平成新選百人一首では収録されていません。
例えば、小野小町は平成新選百人一首にも登場しますが、彼女の和歌は小倉百人一首に登場する「花の色は」とは別の和歌がとられているのです。
では、何が選ばれているのでしょうか?
平安時代の部の三首目にその答えはあります。
思ひつつ 寝ればや人の みえつらむ
夢と知りせば さめざらましを 小野小町
そう、凛世のコミュで採用されている和歌が収録されています。
またさらに、
記紀・萬葉時代の部、九首目
熟田津に 船乗りせむと 月待てば
潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな 額田王
明治・大正・昭和時代の部、十二首目
なにとなく 君に待たるる ここちして
出し花野の 夕月夜かな 與謝野晶子
そう、小倉百人一首では元良親王しか採用されていなかったのに対し、平成新選百人一首では三首が採用されています。
ということは、平成新選百人一首は予習効率3倍!!!!
さぁ、ここまで来れば、もはややることはただ一つ、これまでの凛世のコミュで採用されている和歌たちの中から、共通項をあぶり出し、平成新選和歌集をみていけば、今後シャニマス に登場しそうな和歌が見えてくるのではないでしょうか。
これまでの採用歌には、おおむね下記のような傾向がありそうです。
・女性が詠んだ和歌が多い
・恋を扱った和歌、中でも成就する前のものが多い
今後は、平成新選和歌集から出てきそうな和歌の解説も行っていきたいと思います。下記にリンクを貼っていきますので、時々覗いていただければ、私のモチベーションにもなりますので、どうぞよしなに。
第一回 若山牧水(?)
さて、せっかくですので、筆者と和歌の話をさせてください。私、フルカワPは杜野凛世のコミュに焦点を当てる前は、西行法師の和歌を追っていました。
追っていたというのは、平安時代を生きた西行法師が訪れたという場所を、歌集を片手に巡ったのです。北は岩手の平泉から、京都の名所、南は和歌山の熊野で、西行も修行をしたであろう中辺路の40Kmを歩き切りました。
これは、東方シリーズに登場する西行寺幽々子が西行の娘であり、西行法師を知ることで、東宝シリーズの解釈が深まるのではないか?というテーマから始めた試みでした。
これらの「聖地巡礼」を行う中で、和歌とは単なる三十一文字の言葉遊びではなく、歌人の心を保存する器であると感じるようになりました。
歌人の人生を知り、訪れた場所で、詠んだ和歌に触れる、そうすることで、たとえ平安時代と現代で千年の時が隔てられていようとも、歌人の心に触れることができる。しかもそれは、歌人が詠んだ和歌そのものではなく、私を通して解釈されるのです。
例えば、仕事帰りに思い出す西行の和歌があります
惜しむとて 惜しまれぬべき 我が身かは
身を捨ててこそ 身をも助けめ
この和歌を私が口ずさむ時、出世と出家に悩んだ西行の心が再生される。ただし、それは西行の心がそのまま再生されるのではなく、疲れたサラリーマンの文脈で再生される。それは、私に西行が寄り添ってくれるような感覚です。
このようにして和歌に触れてみると、和歌というものは決して、一度きりの、すでに終わったものではなく、後世の人間が語り継いで、心を通わせていくことで新たなページを加えていくものであるように思えたのです。和歌は教養のためにただ暗記するものではない。
凛世のコミュの中で和歌が登場のは、彼女に古典の知識が豊富にあるからではありません。凛世が和歌を思い出している時、彼女の心は歌人の心に触れているのです。歌人の心に触れ、彼女が何を感じているか、何を思っているか、について考えることは、シャニマスのコミュをより深く味わうだけではなく、些細ながらも和歌の歴史に新たな解釈を付け加えているのです。
参考文献
梅田卓夫, 文章表現 四〇〇字からのレッスン, ちくま学芸文庫