Neue Geschichte

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【シャニマスコミュ考察】黛冬優子 ダブルキャストと胡蝶の夢

個人が複数個のアカウントを持ち、フェイクニュースが蔓延る現代。真実と虚偽の境界がどんどん曖昧になっているような錯覚に包まれる。大変な時代なんです、と2000年以上昔を生きた荘子に相談したら、一笑に付されそうです。彼は、自分の人生は蝶の見ている夢かもしれない、と考えるような人でした。もとより真も偽も存在しない。そんな世界の中で、猫被りの彼女が見せてくれる「本当の素顔」とは、本当の彼女なのでしょうか?

 

待望の2週目冬優子実装

7月21日に待望の2週目冬優子が実装。4週目三峰の情報がほぼ無い中ではありましたが、5人中4人が限定とかないだろう、とタカを括って冬優子をお迎えしました。それほどまでに、ガチャ演出の冬優子がカッコ良い。

 

また、フェス演出も素晴らしい。サイバーパンクの世界の中で、和装に身を包んだストレイライト。さらに、世界の哲学が引用されているではありませんか。元ネタの考察が何より好きな私にとって、2週目冬優子は無視できる訳なかったのです。

 

今回は、2週目で引用されている中でも比較的わかりやすい「胡蝶の夢」から、冬優子の魅力に迫っていきたいと思います。

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荘子の見た夢

昔の中国に、荘子という思想家がいました。ある日、彼がうたた寝していると、蝶になってひらひらと舞う夢を見ました。気持ちよく中を舞う夢から覚めた後で、荘子はこう考えました。「俺は今、蝶の夢から覚めて人間に戻ったと思っている。でも、実は、人間に戻っていると思ういまこの時こそ、蝶が人間の夢を見ているのではないか?」

 

これは胡蝶の夢と言って、いまだに語り継がれている荘子のエピソードです。今、人間として生きている自分が、胡蝶の見る夢ではないことを否定できない。それでは、私たちは何も信じることのできない虚偽の中に生きているのでしょうか?

 

個人の解釈によりますが、荘子が伝えたかったのは、そうではないと思います。

 

自分が蝶になっている時には、それが夢かどうかなんて考えずに蝶らしく生きること。その場その場で、その瞬間を肯定して生きる。その一方で、蝶が見ている夢にすぎぬ、と執着せずに生きる。

 

二律背反しているようですが、肯定しつつも執着しない生き方、有にも無にも、真にも偽にも囚われない生き方を解いたのではないでしょうか。

 

真と偽、これはストレイライト、特に冬優子を見ていくには重要なワードです。

 

2週目ストレイライト

ご存知の通り、冬優子は最大限に猫をかぶってアイドルをしている。彼女の笑顔は作り物でしかない、WING編のカメラマンとのやり取りで冬優子は「本物の笑顔」について葛藤することになります。

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眉がキッ!ってなるのがかわいい

「本当の自分、本当の笑顔」に葛藤した冬優子が、GRAD編でどっちも本当だから、と言ったのは印象的です。

 

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冬優子はもともと自分が性格の悪いことを自覚しており、みんなの前では綺麗な自分を「演じて」いたのです。演じている「ふゆ」は肯定的な真の自分、演じていない「冬優子」は否定的な偽の自分と言えるでしょう。

 

しかし、アイドルの活動を通して、彼女の中の認識が変わってきたのです。真偽もない、どちらも本物だから。これは、「胡蝶の夢」の深い理解に似ているように見えます。

 

ちょっと脇に逸れて

今回は冬優子の考察ですが、せっかくなので2週目のあさひと愛依についてもちょっとだけ言及しておきます。

 

荘子が「胡蝶の夢」で伝えた、「執着せず、かつ肯定しつつ生きる」こと、これは仏教の思想とよく似ています。中国に生きた荘子がインドに生きたブッダの思想に触れる機会はなかったかと思いますが、同じような境地にたどり着いたことは大変興味深いです。

 

執着せずかつ虚無に囚われず生きることは、仏教では「空即是色 色即是空」や「諸行無常」といった言葉で表されますが、これらを英訳すると下記のようになります。

 

ALL IS VANITY(色即是空

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ALL THINGS MUST PASS(諸行無常

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もっと深掘りして考察してみたい方は、参考文献をご参照ください。

 

最後に、これまでと違ったストレイライトを

煩悩まみれの凡夫がわかったように仏教の紹介をするのはこの程度にしておきます。

 

「どちらも本物だから」と胡蝶の夢のように真偽に囚われず、肯定することに成功した冬優子に対して、我々凡人にとっては、真偽から抜け出すことは相当に難しいことです。

 

胡蝶の夢」「色即是空・空即是色」と唱えてみたところで、上司はウザいし、仕事は辛いし、腹は減る。単語の意味を知っていたからとって、そのままで悟りは得られません。

 

そう、凡夫である私はいまだに、冬優子が「自分の前では、ファンの前で見せない本当の自分を見せてくれている」と真偽に囚われている。一方、冬優子が見せるファンの前の顔、プロデューサーの前の顔、あるかもしれない他の顔、これら全てが冬優子にとって本物であり、もはや真偽そこには真偽はないのです。

 

私にとって、この対比が何か魅力的なものに思えてきました。

 

ニコニコ動画でMADを見ていると、ストレイライトにはかっこいい動画が多い印象を受けます。そのカッコよさは例えばL'Anticaとは違ってクールなカッコよさではありません。ストレイライトには越えるべき「壁」があり、葛藤があり、それとガムシャラにぶつかっていく。それは、少年マンガ的な熱さを持ったバトルなのです。

 

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ストレイライトはアツくてカッコいい

 

それはストレイライトの魅力の一面です。ですが、彼女たちの魅力はそれだけでしょうか?

 

今回、「胡蝶の夢」を中心に見てきましたが、そこに描かれているのは真偽を超えてしまった先にいる冬優子でした。対して、彼女のプロデューサーである私は、彼女が本当の自分を見せてくれていると、まだ真に囚われている。

 

そうやって捉えてみると、「壁」は今度はこちら側に存在するのです。冬優子たちはその「壁」をもう超えてしまって、圧倒的に先に進んでしまっていて、囚われのないサイバーパンクの世界にいる。

 

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そして向こう側から、こちらを嘲笑う、まだ真偽に囚われているの?と。圧倒的な高みに到達してしまっていて、もはや何にも囚われない(電子上のデータのように時間にも、空間にも囚われない)。そんなカッコよさもあり得るのではないでしょうか?

 

こう考えながら、久しぶりにMADを作っています。でも、作成しながらふと思うのです。果たして、これは本当に冬優子なのだろうか?と。

 

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参考文献

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プロットの段階では、般若心経に登場する「空即是色」をメインに据える予定でした。

簡単に理解できたとは口を裂けても言えませんが、著者の語り口は、

人生についても考えさせられます。

 

 

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2週目ストレイライトを仏教から読み解く上で、

障害となったのはヘラクレイトスの「パンタ・レイ」と荘子の「胡蝶の夢」でした。

禅僧による荘子の解説である本書は、特定の宗派からではなく、

その内容から考えるヒントになりました。

 

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仏教の真理に対して、和歌からアプローチした西行は、

真理を語る中でこんな和歌を残しました。

 

山ふかく さこそ心は かよふとも

すまであはれは 知らんものかは

(山ふかく どんなに心は 通っていても

 住んで心を澄ませずには、「あはれ」を知ることは出来はしない)

 

知識だけでわかったような文章を書くことを戒めると同時に、

「悟っていないプロデューサー」という視点の発想をここから得ました。