【東方妖々夢と西行の歴史】虚構から史実を読み解く
妖々夢は虚実入り乱れてるからこそ面白い
願わくは 花の下にて 春死なむ
その如月の 望月の頃
ある有名な歌聖はかく詠み、その通りに自身の生涯を終えました。
その見事な死に様に人々は大いに感動し、中には同じ桜の下で死ぬ者まで出る始末。
そんなことが繰り返されるうち、その桜は人を死に追いやる妖怪桜「西行妖」となってしまったのでした。
これは、言わずと知れたゲーム東方妖々夢のプロローグです。
妖々夢のプロローグが秀逸なのは、事実と虚構(フィクション)を巧みに織り交ぜている点で、和歌を詠んだとされる「ある有名な歌聖」にもモチーフがいます。
それは平安時代末期を生きた西行法師。生涯に2000首を超える和歌を残し、百人一首にも選ばれている彼には、冒頭の「願わくは」歌以外にも、桜と死にまつわる和歌があります。
仏には 桜の花を 奉れ
我が後の世を 人弔はば
これら2つの和歌はどちらも東方妖々夢のステージ開始時のカットインに登場しており、作品から西行の存在にたどり着くための手がかりとなっています。
また、その西行には娘がいたとされ、西行物語絵巻には西行が出家の際に娘を蹴り飛ばして出ていく様が描かれています。
この「蹴り飛ばされた娘」こそ、ある有名な歌聖の娘・西行寺幽々子のモチーフであることは言うまでもありません。
妖々夢のストーリーは事実と虚構によって彩られているのです。
原作者のZUNは、歴史的事実に幻想郷のエッセンスを加えた上で、このストーリー(=虚構)を私たちに提供してくれました。
それに対して私は、提供された側として逆のこと、つまり幻想郷の虚構から歴史的事実に触れていくことをしてみたいと思います。
それは、1人の歴史好きとして平安時代の出来事が現在にもつながっていることを実感することと、史実の視点から妖々夢のストーリーをより深く味わうことの二点を可能にしてくれると思うからです。
そのために、妖々夢のストーリーから下記の疑問を設定し、文献にあたったり、「聖地巡礼」を行いながらそれらの問いに答えていきたいと思います。
①西行はなぜ、桜の下で死にたいと和歌を詠んだのか?
願わくは 花の下にて 春死なむ
その如月の 望月の頃
これは西行が死ぬ間際に詠んだ和歌と思われがちですが、実はそうではありません。73歳で生涯を終える西行が60代の頃に詠んだ和歌です。なぜ彼は、死期を悟る前から死に様の歌を詠んだのでしょうか?
まずは、西行の生涯について、彼の和歌を参照しながら触れていきたいと思います。
②西行の死は当時の人々にどのような影響を与えたのか?
妖々夢のストーリーでは、歌聖の死に様に感動して多くの後追いが出たとされています。ですが、宗教的に重要な役職についていたわけでもない西行の死が、多くの人々に影響を与えることなどありえたのでしょうか?
桜と満月の下での死は同時代の人々にどのような影響を与えたのかについて探ります。
③「西行の娘」は西行寺幽々子なのか?
出家に際して、娘を蹴り飛ばして出て行ったとされる西行。蹴り飛ばされた娘は、のちに亡霊となる西行寺幽々子なのか?
正直、この問いに関しては参照できる文献が少ないのですが、その分想像の余地があると置き換えて考察してみたいと思います。
この試みが、より遠く、より深いところへ私を連れていってくれることを願って。
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