嘆けとて月やはものをおもはするかこちがおなるわが涙かな
900年前の和歌にもあるように、人はいつの時代も月を見て涙を流していたようです
ところで、283プロの白瀬咲耶もしばしば月と一緒に描かれています
咲耶はGRAD編でかつてのファンから「昔の咲耶に戻ってほしい」という手紙を受け取りました
もし、月夜の元でファンからの手紙を読んでいたら?
もし、手の届かない存在であるモデルと月がダブって見えていたら?
咲耶も月を見ながら、一人涙するのでしょうか
第3回シャニマス投稿祭に向けて
今年は史上最も暑い夏だったとのことですが、11月にもなればすでに肌寒さを感じる季節で、紅葉の季節でもあります。紅葉だけではありません、月もまた秋の楽しみのひとつです。空気中のチリも落ち着くのでしょうか、空気が冷えれば冷えるほど、月は美しく見える気がします。
今回の投稿際は、そのまさに冴えつつある月をテーマにしたいと思います。月齢カレンダーを見れば、投稿祭から1週間ちょっと後の11月30日が満月のようです。
テーマは月と決まりましたが、これをどう扱いましょうか。シャニマスの投稿祭ですから、月の風景写真を垂れ流すわけにはまいりません。月をテーマに何を描くか考えるためにも、過去の例をみてみましょう。
月といえば
かぐや姫の竹取物語や夏目漱石の「月が綺麗ですね」、梶井基次郎のKの昇天などが有名どころでしょうか。また、月岡芳年は月をテーマに数々の浮世絵を残しています。
月に関わる作品はたくさんありますが、中でも私が好きなのは冒頭に紹介した西行の和歌です。
嘆けとて月やはものをおもはするかこちがおなるわが涙かな
この和歌で西行は想い人と結ばれない悲しさに涙を流しています。
ですが、西行はその涙を失恋ではなく、月のせいにしているのです。
悲しくて泣いているのではない、月の美しさが俺を泣かせているだけだ、と。
私はこの、一筋縄では掴めない複雑な感情に、惹かれてしまいます。
本当は西行はいつも泣いているのです。でもそれを月のせいにしてしまいたくなるような、
人をいつもと違う気持ちにさせてしまう力が月にはあるのでしょう。
シャニマスと月
さて、翻ってシャニマスと月を見てみましょうか。
ざっとイラストを見てみれば、月、ないし夜景で描かれるのはL'Anticaが多いようです。
特に恋鐘が多い。苗字が持つイメージからでしょうか。
うさぎと描かれることが多いのも月のうさぎとかけてのことか。
次に多いのは咲耶のようです。
ただし、咲耶については、これといった理由がパッと浮かびません。
まぁ、パッと浮かばないところこそ創作しがいがあるんですが。
複雑な感情と月をシャニマスで描く
今回焦点を当てる候補を恋鐘と咲耶に絞り、どんなストーリーにするか、曲を聴き込みながら考えていきます。
1ヶ月ほど様々な曲に当たっていると、あるアイデアが浮かんできました。
それは「もし、咲耶がファンからの手紙を始めてもらったのが満月の日だとしたら?」というものです。
GRADを踏まえた上でなら、先の和歌で引用した複雑な感情と月と咲耶が成り立つ気がしたのです。
GRADの概要
GRADで咲耶は、モデル時代のファンから手紙をもらいます。
その手紙曰く「昔の咲夜様に戻って欲しいです」。
咲耶はこれに動揺するも、自分で選んだ最善の道を行くとして、
アイドルとして今のあり方を続けること(=彼女との訣別)を選択します。
とはいえ、頭でわかっていても、自分がいつか彼女に受け入れられることを願わざるを得ない。
GRADと月を結びつけて考えてみる
人々から手が届かない存在のモデルは、手が届かないという意味で月のようだといえます。
あのファンからの初めての手紙を読んだのが月の下だったとしたら、
月を見るたびに、咲耶は彼女のことを思い出すでしょう。
そして、彼女との決別を決めるのも月の下でしょう。
そうやって彼女を捨てると決めつつも、いつか受け入れられることを願わざるを得ない。
なぜ二律背反な感情を持ちうるかというと、月がそうさせているからです。
(劇中では車の中でプロデューサーに彼女と決別することを告げますが、告げる時が思い立ったときではないとして解釈しています)
まぁ、多少強引にまとめた感はありますが、こんなことを思いながらMADを作成していました。
下記からどうぞよしなに。
第3回シャニマス投稿祭「今宵の月に叶わぬ願いを」