【シャニマスコミュ考察】杜野凛世 GRAD編
凛世のGRAD編はわかった様で分かりにくい
海岸線にて、心が「痛い」少女は、プロデューサーの声によって「あ」を獲得し、「会いたい」と言える様になる。これは凛世GRAD編のハイライト。凛世が演じる「あ」のない少女からの繋げ方が秀逸で、感動的なのは間違いありません。一体、何を食ったらこんなコミュが書けるのでしょう?
でも、一旦冷めて考えてみると、よくわからないところも多数あります。GRAD編は少女αと少女βの対比の物語です。では一体、凛世の中の何がαとβなのでしょうか?
凛世をPラヴ勢の文脈で読んでみましょうか。仮にαをプロデューサーに一途な凛世、βをファンサしたい凛世と置いてみたとしても、最後のセリフが引っかかります。
「プロデューサーさまに会いたくて、前に進みたくて、人の心を動かしたくて」
これは一体αとβどちらの凛世から発せられた言葉なのでしょう。
そう、凛世のGRAD編はPラヴ勢の視点では、わかった様でわからなくなるのです。
実は、プロデューサーへの恋とファンへの愛での葛藤は、微熱風鈴やWing編ですでに触れられてきているのです(あとの方で振り返ります)。なのに、今更それをGRAD編で焼き直したのでしょうか?そうは思えません。
だとしたら、GRAD編はラヴではなく凛世の別の側面が描かれているのではないでしょうか?この問いから出発し、今回は過去のコミュを参照しながら読み解いていきたいと思います。
Wing編を振り返る
優勝すれば大円団のWing編。凛世のストーリーも一見そのように見えますが、実はプロデューサーと凛世の間で大きなスレ違いが起きています。
シーズン3通目通過後のコミュをご覧ください。プロデューサーは凛世に対し、「もっと欲張りになれ」とアドバイスします。
これに対し、凛世はどんな答えを導き出したのでしょうか?それは、優勝後のコミュで明らかになります。
みなさまの想い(=期待)に応えたい。そばにいたい。
結局、Wing編で凛世はプロデューサーの言う様な欲張りにはなれなかったのです。それよりも、期待に答えることで、ファンやプロデューサーと一緒にいること、これこそが凛世にとって最も重要な願望となったのでした。
これは「夢と知りせば、覚めざらましを」で始まる朝コミュからも窺い知ることができます。
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ
夢と知りせば 覚めざらましを
あの人を思いながら寝たから夢に見たのだろうか
夢と知っていれば(現実で会えない分も)覚めずにいたものを
これは小野小町の和歌で、彼女は現実に想い人と一緒に「居られない」悲しさを和歌に詠みました。
そのため、選択肢で「歌人と同じ体験ができたんだな」の選択を選ぶとノーマルコミュニケーションとなってしまいます。なぜなら、凛世は「できることなら、このようなことには(小町のようなことにはなりたくない)・・・」と思っているのですから。
一緒に居たい、相手の期待に答えていたい。でもそれ以上のことは自分から望まない。このスタンスは少女β的ではないでしょうか。
改めてGRAD編を読む
プロデューサーと、ファンと一緒にいたい。凛世はこの願望を最優先して叶えます。
この願望の成就のためには、ダンスも心を込めて完璧に舞います。でもその姿勢は、トレーナーにとって、何か足りない様に見えてしまったのです。凛世自身は自分の願望の成就の為に一生懸命に踊っているにも関わらず・・・このギャップに凛世は悩み、苦しみます。
やがて、凛世が苦しんでいることはプロデューサーにも伝わってしまいました。彼は凛世に休暇を出します。これは無論、良かれと思っての行為ですが、凛世にとっては「プロデューサーと一緒にいたい」という唯一の願望をプロデューサーによって奪われてしまう形になります。
会えないのであれば、会いに行けばいい。ですが凛世にとって、そう簡単にはいきません、人の期待に応え続けてきた彼女には、自分の願望を人に押し付けることができないのです。だから、「会いたい」と思っても、それを伝えることができない。
伝えることができないだけなのに、「あ」を持ち合わせていないと思い込んでいく・・・
結局、そんな凛世を救ってくれたのもプロデューサーでした。
「ないんじゃない、出すのを躊躇っているだけ」
この言葉を受けて、凛世は伝えることができなくなっているだけと悟ったのです。
「プロデューサーに会いたい、前に進みたい、人の心を動かしたい」
つまりこれは、凛世のβ的側面が、これまで抑圧してきた願望を口にしたときのセリフであり、これらは全て、βが持っていないと思い込んできた「あ」にあたるわけです。
これまで凛世は「みなさまの想いに応えたい」という願望を最優先してきた。それはファンやプロデューサーと一緒に居続けるためです。次第に「会いたい」とか「前に進みたい」、「人の心を動かしたい」といった自分自身から発せられる願望は後回しにされていったのです。
ここまで見てきたとおり、GRAD編のテーマはプロデューサーに対するラヴではありません。そのテーマは、凛世の願望の順序の問題です。知らずに自分本来の願望が後回しになっていることに凛世自身が気づき、それを乗り越えていくストーリーなのです。
終わりに
最後に、凛世が少女β的に自分の欲求を後回しにするようになったのはいつ頃からなのか、考えてみましょう。
十二月短編でも、凛世花伝でもプロデューサーに放置されてしまうのに、
「待って」とも「戻ってきて」とも言わずに、黙って受け入れています。
ひょっとしたら、印象派のこのシーンから、自分の衝動や欲求に従って行動することに躊躇いを覚えるようになっていたのかもしれません。
いずれにせよ、かなり早い時期から自分の欲求は後回しになっていたことが想像できます。
こうみると、最初期のSRこそアグレッシブに見えてきます。
この時期の凛世には、自分がアイドルであるという自覚が薄く、「みなさまの想いに応えたい」という願望を持つ前だったのでしょう。それがかえってプロデューサーに対して積極的になれた原因かも知れません。
PSR想ひいろはの「想いぬれど」はチョコ先輩から借りた漫画にかこつけてグイグイいくし、「雨宿り」はこのまま雨が上がらなければいい、なんて願望をプロデューサーに伝えています。
最近は報われなさが目立った凛世ですが、GRAD編を経て自分の願望を表現することを取り戻しました。
だったら、これからの凛世のコミュには、こんな和歌が似合うのではないでしょうか?
鳴神の 少しとよみて さし曇り
雨も降らぬか 君を留めむ
雷が少し鳴って、曇ってきた
雨が降るかもしれないから、貴方を引き留めたい
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