【シャニマス元ネタ解説】杜野凛世 優勝コミュ
先の記事では、凛世のコミュと万葉集の解説を行いました。今回は、万葉集を代表する歌人、柿本人麿の和歌について触れていきます。
万葉の時代から現代に至るまで、和歌の中で評価の高い人麿ですが、凛世のコミュにおいても彼の和歌は非常に重要な場面で登場するのです。
それは、Wing優勝後の二入での会話。ストーリーのフィナーレを飾るこのコミュに人麿の和歌が引用されているのです。
今回は人麿と彼の和歌について触れていきますが、人麿という人物は大きすぎるので、私自身捉え切れていない部分が多々あります。もし、あなたが興味を持たれたのであれば、歌集を手に歌枕を訪れてみることをお勧めします。
宮廷歌人 柿本人麿
万葉集を代表する歌人、柿本人麿は7世紀後半から活躍した歌人です。
7世紀後半と言いますと、天智天皇の死語、政治のあり方をめぐって、大友皇子と大海人皇子が対決するという壬申の乱が勃発しました。(672年)
この戦いに勝利した大海人皇子は即位して天武天皇となり、天智天皇の急進的な政策を見直していくことになります。その結果として、天智天皇が開かれた大津京も荒廃していきました。
人麿には荒廃した大津京を訪れた時に詠んだとされる和歌があります。
楽浪の 滋賀の唐崎 さきくあれど 大宮人の 船待ちかねつ
(楽浪の滋賀の唐崎は幸にして以前のまま残されているが、
宮廷人の船は戻ってこず、待ちくたびれている)
人麿にはこのように過ぎ去っていった人を悲しむ歌や、妻との別れを悲しむような歌が多いように感じます。
医療や情報通信がない古代では、死や別れは今よりも身近だったのでしょう。
ただし、人麿は悲しい歌ばかりを詠んでいたのではありません。天武天皇のあと、持統天皇の時代では、律令制度が整えられていきますが、その中で営まれる催事を喧伝するための和歌や、雄大な自然を詠んだ和歌が多くあります。
天皇の素晴らしい治世を詠んだ歌や、ダイナミックな自然の歌、死別の悲しみを詠んだ歌、この辺りが人麿の魅力かと思います。
和歌からコミュを読む
さて、今回取り上げる和歌は、自然を詠んだ歌のなかに含まれるかと思います。
天の海に 雲の波ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠るみゆ
訳をつけるまでもないかと思います。空を海に例え、そこに浮かぶ月や、星を船と林に喩えて読み、幻想的なイメージを創出していますね。私自身、この和歌を知ったのが高校生の時でしたが、本で読んだ時に、実際に見たこともない星空のイメージが広がったことを覚えています。
この和歌は人麿歌集に収録されているのですが、人麿歌集には他にも、
天の川 去年の渡りで 移ろへば 川瀬を踏むに 夜ぞ更にける
大船に 真楫繁貫き 海原を 漕ぎ出渡る 月人壮士
と言った、天の川をモチーフにした和歌がありますから、先の「天の海」歌の月の船には、彦星が乗っているのかもしれません。
このように、満点の星空を水面に例えて物語を展開する古代人の発想も素晴らしいですが、シャニマスのライターの発想力の凄さには驚かされます。
繰り返しになりますが、この和歌が登場するのは、Wing優勝後のコミュ。
私たちがライブ会場で振るペンライトを星の林に、
客席を照らすスポットライトを月の船に例え、
されに、舞台のアイドルの視点で7世紀に読まれた和歌を読み解くとは。
しかもこれ、シャニマスの開始時からあるコミュなんですよね。
【参考文献】
高松寿夫, コレクション日本人歌選001 柿本人麿, 笠間書院
角川書店編, ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 万葉集, 角川ソフィア文庫
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【関係ないけど】
滋賀県は大津市にある近江神宮は、カルタ取りの全国大会や、ちはやふるの聖地として有名ですが、由緒としては 今回触れた天智天皇の遷都を記念して創祀されたとのこと。
2年前に写真を撮りに行った時は、シャニマスに繋がってくるとは思いもしませんでした。