ゴッホ展@兵庫県立美術館
兵庫県立美術館のゴッホ展に参加しました。この日はゴッホの絵に似つかわしくない雨の日だったため、カメラは留守番。モダンな兵庫県立美術館の外観写真は撮っていません。
ゴッホについては大学で講義を受け、ヨーロッパで実物も見てきましたが、例の印象派の解説の為に再勉強しています。動画の作成には「そもそも印象派とは何か?」をつかむ必要があると考えている次第で、今回のゴッホ展もその一環と言えます(ただ休日にやることがなかっただけとも言う)
1月25日から3月29日の期間で開催されるこのゴッホ展のプログラムは2部立てとなっており、第一部ではオランダ人であるゴッホがオランダのハーグで学んだ初期の絵の紹介から始まります。
この頃のゴッホは有名なあの「向日葵」のような明るい作品ではなく、モチーフはもっぱら農村の生活。その背景には「落穂拾い」で有名なミレーの影響もあるのですが、この頃の絵はあまり面白いとは言えませんでした。
展覧会が面白くなってくるのは、第二部から。ここでは、南仏に移り住み、印象派の影響を受けて以降の作品が展示されます。ゴッホはモネをはじめ、様々な印象派の画家から多くを学び、絵がどんどんと明るくなってゆきます。貴方のイメージ通りの「ゴッホ」が見れるのはこの第二部から。
では、なぜ地味で暗い絵ばかりで大して面白くもない第一部が存在するのでしょうか?
この展覧会の趣旨はそこにあります。
つまり、27歳にして画家を目指したゴッホが、偉大な先人たちや周囲の画家からどの様に影響を受けて、我々が知る「ゴッホ」となりえたのか?それを追うのがこの「ゴッホ展」の趣旨なのです。そして特徴的なのは、彼が周囲からどのような影響を受けていたのかが、自身の弟に当てた手紙を通して知れることです。音声ガイドにも、絵画の解説にも、会場の壁面にも、手紙からの引用文が登場するのです。
私はゴッホの人となりについてはあまり詳しくなかったのですが、度々引用される手紙の文面を読むうちに、非常に純粋で素直な(であるがゆえに人付き合いが少し難しい)性格だったのだな、とおぼろげながら生身のゴッホがみえてきました。画商を営む弟に毎日の様に手紙を書いたり、画家たちの共同生活を目指したりしたのは(こちらは経済的な理由もあったでしょうが)、芸術を通じて人と繋がりたかったから、なのかもしれません。
ですが、悲しいかな画家たちの共同生活に参加したのはゴーギャンのみで、二人の共同生活は長くは続きませんでした。タヒチの先住民との生活に憧れたゴーギャンとの生活に、ゴッホの方が耐えきれなかったのです。精神を病んだゴッホはゴーギャンの前で自分の耳を切り、驚いたゴーギャンは家を出ていってしまう・・・という顛末は貴方もご存知のとおり。
ゴーギャンとの決別の後、ゴッホは病院に入りながら制作をするのですが、展覧会でドラマチックなのはここから。
入院してからの絵こそ我々の知る「ゴッホ」の絵なのです。また、絵画だけでなく引用される手紙にも変化があります。手紙の中から、周囲の画家たちに関する記載がなくなるのです。それまでの様に、他の画家を引用し、称賛し、彼らの技量や態度に憧れていたゴッホの姿はもうありません。オランダの伝統的な画家たちに憧れて出発したゴッホは、闘病生活の中に、ついに、自分の絵を発見したのでした。
この展覧会を少しアイロニックに読めば、周囲の画家たちに憧れていた時期には自分らしい絵をかけていなかったゴッホが、共同生活の崩壊、そして入院という機会を経る事で、周囲と隔絶され、自分の絵を発見することができた、というストーリーと見ることもできるでしょう。
別の立場を取れば、たとえ人生最悪の時にであっても、研鑽を積むことで自分らしさを発見することができ、本人がいなくなったのちもその「自分らしさ」は作品として後世の人々とつながっていく、という我々を勇気付けるストーリーとしてみることができるかもしれません。
この展覧会が、何を我々に語りかけているのか、掲げられた絵画だけでなく、解説文からそれを考えてみることができる。そう言った意味で、この展覧会は絵画以外にも楽しみ方があるお得な展覧会と言えます。
展覧会の最後に記された引用文をあなたが見たら、一体何を考えるのでしょうか。
私にはそれが気になります。
※展覧会で参照された闘病生活中の引用文に、周囲の画家たちは登場しません。ですが、これは展覧会側が意図して選別の結果かもしれません。つまり、実際にはゴッホは最期まで周囲の画家たちをリスペクトし、彼らから学ぼうとしていた可能性があります。
私はゴッホが書いた手紙全体に詳しくはないため、あくまで展覧会のストーリーに沿って記載しています。