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西行の歴史を歩く 熊野修行

前回の記事では、西行の出家について触れました。

 

彼の出家の原因の一つには、待賢門院との恋愛がありました。西行は出家した後も、待賢門院のことを気遣ってか、なかなか京都を離れることはできなかったのです。

 

ですが、1145年に彼女が世を去ったのち、西行も都を離れて修行を行うようになります。

 

今回扱う熊野も彼の修行地の一つ。西行には熊野で呼んだとされる和歌があり、様々な季節で詠まれていることから、熊野で修行をしたのは一度や二度ではないと推測されます。

 

では、西行が何度も修行をしたとされる熊野とは、一体どの様な場所なのでしょうか?

 

熊野はどんな場所?

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熊野の存在は遥か昔、神武天皇の伝説の時代にまで遡ります。那智大滝を発見されたのが神武天皇とされているのです。神武天皇が大和に帰る際の道案内を務めたとされるのが、八咫烏で、現在では日本サッカーチームのシンボルとなっています。

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神武天皇

 

平安時代になると、大陸から伝来した仏教と日本古来からある神道の結びつきが強まっていき、熊野も神仏混淆の聖地とみなされる様になっていきます。

 

平安時代には他にも注目すべき出来事が起こりました。宇多天皇が熊野詣(熊野御幸と言います)を行ったのです。宇多天皇天皇という神道のトップの立場でありながら、寺院を建立しその門跡(住職)になられたお方です。

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宇多天皇

 

天皇による熊野詣では人口に膾炙し、平安時代には蟻の行列の様に熊野を目指す人々が絶えなかったそうです。

 

宇多天皇の熊野御幸は、のちの天皇にも引き継がれていきました。後白河天皇後鳥羽天皇をはじめ、数多くの天皇が熊野御幸を行う様になります。

 

では、なぜ天皇は熊野を訪れたのでしょうか?

 

一つ目は宗教的な理由です。熊野では、歩くこと自体が修行になります。老若男女・貴賎を問わず、歩いて熊野本宮大社を目指す。その修行を通じて、神仏の加護を得られると考えられていました。

二十八回もの熊野詣でを行った後鳥羽上皇は、承久の乱隠岐へ流されてしまいますが、そときに読んだ和歌が残っています。

 

岩にむす 苔踏みならす み熊野の

山のかひある 行末もがな

(熊野の山の峡を見ながら岩に生えている苔を踏み鳴らすほど通った。

 その甲斐あって、世の中の行く末が良くなってほしいものだ)

 

二つ目には現代でいうところのリフレッシュがあったことでしょう。京都にいる限り公務から逃れられない天皇であっても、熊野まで来れば大自然に囲まれ、忙殺される日々から解放されることが出来ます。

 

三つ目としては政治的な理由があります。熊野には代々住み着いた豪族がいて、水軍を有していました。東海道を往くにせよ、西海道を往くにせよ、京都にとって熊野は後背地に当たります。京都の安全保障上からしても、熊野との関係は重要だったのでしょう。

 

我もしてみんとす

以上の歴史を踏まえて、実際に熊野修行を行ってみました。

熊野修行にはいくつものルートがありますが、現代で主流なのはそのうち中辺路と呼ばれるルートです。

 

和歌山県紀伊田辺で前泊し、翌日の早朝からバスで滝尻王子まで移動。

現代の熊野修行はここ、滝尻王子から始まります。

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1日目は滝尻から近露王子までの20キロをひたすら歩く。道中には高原の里など、素晴らしい光景が広がっており、これが苦行であるということを忘れてしまいます。

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6時間ほど歩けば近露王子に到着。ここで一泊し、翌日は熊野本宮大社までの残り20キロを歩きます。

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つまり、2日日間で40キロも歩くわけです。1日あたり6〜7時間ひたすら歩く。

一体どんな人が、こんな苦行なんてやるんだ、と思ってました。

 

でも、案外いけます。

むしろだんだん気持ち良くなってくる。

 

熊野の道中に電波はありません。納期や上司のことを考えるべくもないほどの険しい道を登り、その先で素晴らしい光景に出会う。

 

熊野には、大自然と先人達が歩いた道しかないのです。この中で、普段の煩わしい文明から解き放たれて、ひたすら歩き、時々飯を食い、眠る。

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こうするうちに、普段の余分なことが剥がれ落ちて、「生きることってこういうことだよな」と、わかった様な気になるのです。

 

本当に、巡礼の道とは良くできている。

2019年には7月と10月の二度も修行してしまいました。

 

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大社に着いた後は、熊野の温泉街で2日目を終えます。

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湯峯温泉街

中辺路の修行はここまでですが、せっかくなので那智滝のある那智勝浦まで足を伸ばしました。紀伊半島を西から東に横断したことになります。

 

那智大滝

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落差日本一である那智滝の前に佇んでいると、人間を超えた力に圧倒されます。

神や仏以前に、私たちが持っていた自然信仰とはこの感覚ではないか、そんな気にさせられるのです。

 

西行は一般に真言宗の僧侶とされていますが、天台宗のトップ(座主)や伊勢神宮の神官と交流があり、特定の宗教に囚われない思想の持ち主でした。

 

次の和歌は、一般に西行が呼んだとされる和歌ですが、その源泉は、ここ神仏混淆の聖地・熊野にある、そんなふうに思えてくるのです。

 

なにごとの おはしますかは 知らねども

かたじけなさに 涙こぼるる

 

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参考文献

白洲正子, 西行, 新潮文庫

西澤美仁, ビギナーズクラシックス 日本の古典 西行 魂の旅路, 角川ソフィア文庫 

金森早苗編, 楽学ブックス 神社4 熊野三山, JTBパブリッシング

金森早苗編, 熊野古道をあるく, JTBパブリッシング

吉野朋美, コレクション日本歌人選028 後鳥羽院, 笠間書院

辻邦生, 西行花伝, 新潮文庫

 

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