Neue Geschichte

歴史をテーマにオタク活動するブログ

2020年を振り返って

2020年を振り返って

去る2020年を振り返れば、それは後悔から始まった年でした。

昨年の正月休み明け早々に仕事でインドへ飛び立った私は、現地で体調を崩し、1月末の帰国時にすぐに病院へ行くことになりました。

その時は日本国内でのコロナ発症例といえばあの豪華客船の乗客のみで、我々にとっては、いま以上に未知の病原菌だったわけです。

そんな瀬戸際の状況で、インドから帰国した高熱の患者は病院側も最新の注意を持って対応せざるを得ません。

防護服に身を包んだ医者が採血のために注射を行う。その注射器は、すぐさまバイオハザードマークが記された容器の中に捨てられていきました。

映画の中でしか見たことのない「感染者」に、いま、自分がなりつつある。

その恐怖と向き合いながら隔離室で過ごす3時間はこれまでの人生で一番孤独でした。

内心嫌だと思っている仕事のためにインドへ赴き、そこで未知のウィルスにかかって死ぬ。

ならば、「もっとやりたいことやっとくべきだったなぁ」というのが、正直な感想でした。

検査の結果は、バクテリアによる肺炎で、幸にして抗生物質の絨毯爆撃が功を奏し、1週間程度で復調しましたが、「今の仕事・生活では死ぬときに後悔することになる」という念は脳裏にべっとりと張り付いたままでした。

同世代に比べれば有利な条件で働いけている一方、その仕事に全く誇りをもてない。

稼ぐための事と、やりたい事のバランスをどうするか?

そもそも、自分のやりたい事とはなんなのか?

これらのことを考えながら、進んだ一年でした。

 

作ったもの

2020年の初売りセールでiMacを買うと決めた目標の、動画作成:年間6本は一応達成。

アウトプットを始めてみると学ぶことが多いですね。

特に勉強になったのは8月の動画で、私の気合の入り方と反応が全く異なっていたのは良い教訓になりました。

自分が描きたいことを描き切るだけでなく、見る人が見たいものを見せないといけない。

第3回投稿祭では意識して創作しましたが、ポジティブな反応をいただけて大いに励みになりました。

 

・20年1月 第1回シャニマス投稿祭

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・20年8月

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・20年11月 第3回シャニマス投稿祭

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読んだ本

量を多く読む、というよりは気に入った本を繰り返し読んでいたという印象。

特にお勧めするのは下記にリンク貼っときます。

 

・新インナーゲーム WTガルウェイ

新インナーゲーム (インナーシリーズ) | W.T.ガルウェイ, 後藤新弥 |本 | 通販 | Amazon

 

・1日ひとつだけ強くなる 梅原大吾

https://www.amazon.co.jp/1日ひとつだけ、強くなる%E3%80%82-梅原-大吾-ebook/dp/B0116H3QPG

 

・ファクトフルネス ハンス・ロスリング

https://www.amazon.co.jp/FACTFULNESS-ファクトフルネス-10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣-ハンス・ロスリング/dp/4822289605/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=AZZWY4PWB7SL&dchild=1&keywords=ファクトフルネス&qid=1609735139&sprefix=ファクト%2Caps%2C305&sr=8-1

 

よかった本

鬼滅の刃1〜24巻

動画の世紀 明石ガクト

デザイン入門教室

サピエンス全史(上・下)ユヴァル・ノア・ハラリ

シルクロード全史(上) ピーター・フランコパン

How to be Everything

武器としての資本論 白井聡

コレクション日本歌人選 006 和泉式部 高木和子

コレクション日本歌人選 045 能因 高重久美

源実朝「東国の王権」を夢見た将軍 坂井孝一

 

買って良かったもの

・Workflowy

 創作活動するときのアイデアをまとめるアウトライナー

 

iMac 27インチ

 メイン機、大画面はやはり正義。

 M1チップ以前であれば、出先で動画編集しない人はこれを買うのが良かったのですが

 今となっては難しいところですね

 

・GoPro Hero8

 想像以上に手軽に、綺麗に撮れるので、登山動画やゲームの聖地巡礼動画作成のときに

 重宝しそうです。

 

・ドクターエア アイマス

 ヲタクが常に悩まされる眼精疲労を軽減してくれます

 

無印良品 ステンレスシェルフ

 

登った山

六甲山、御在所

3度目の中辺路修行を計画するも、仕事の関係でキャンセルに。

コロナもあり、外には出にくい一年でした。

 

2021年に向けて

後悔から始まった2020年を終えても、どうすれば死ぬときに後悔しないのか?に対する答えは得られませんでした。

でも、ささやかでも自分が作ったものが、誰かに何かを伝えることに魅力を感じるようになりました。

第3回シャニマス投稿祭へ向けて

嘆けとて月やはものをおもはするかこちがおなるわが涙かな

900年前の和歌にもあるように、人はいつの時代も月を見て涙を流していたようです

ところで、283プロの白瀬咲耶もしばしば月と一緒に描かれています

咲耶はGRAD編でかつてのファンから「昔の咲耶に戻ってほしい」という手紙を受け取りました

もし、月夜の元でファンからの手紙を読んでいたら?

もし、手の届かない存在であるモデルと月がダブって見えていたら?

咲耶も月を見ながら、一人涙するのでしょうか

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第3回シャニマス投稿祭に向けて

今年は史上最も暑い夏だったとのことですが、11月にもなればすでに肌寒さを感じる季節で、紅葉の季節でもあります。紅葉だけではありません、月もまた秋の楽しみのひとつです。空気中のチリも落ち着くのでしょうか、空気が冷えれば冷えるほど、月は美しく見える気がします。

今回の投稿際は、そのまさに冴えつつある月をテーマにしたいと思います。月齢カレンダーを見れば、投稿祭から1週間ちょっと後の11月30日が満月のようです。

テーマは月と決まりましたが、これをどう扱いましょうか。シャニマスの投稿祭ですから、月の風景写真を垂れ流すわけにはまいりません。月をテーマに何を描くか考えるためにも、過去の例をみてみましょう。

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月といえば

かぐや姫竹取物語夏目漱石の「月が綺麗ですね」、梶井基次郎Kの昇天などが有名どころでしょうか。また、月岡芳年は月をテーマに数々の浮世絵を残しています。

月に関わる作品はたくさんありますが、中でも私が好きなのは冒頭に紹介した西行の和歌です。

 

嘆けとて月やはものをおもはするかこちがおなるわが涙かな

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京都、大森山にて撮影

 

 

この和歌で西行は想い人と結ばれない悲しさに涙を流しています。

ですが、西行はその涙を失恋ではなく、月のせいにしているのです。

悲しくて泣いているのではない、月の美しさが俺を泣かせているだけだ、と。

 

私はこの、一筋縄では掴めない複雑な感情に、惹かれてしまいます。

 

本当は西行はいつも泣いているのです。でもそれを月のせいにしてしまいたくなるような、

人をいつもと違う気持ちにさせてしまう力が月にはあるのでしょう。

 

シャニマスと月

さて、翻ってシャニマスと月を見てみましょうか。

ざっとイラストを見てみれば、月、ないし夜景で描かれるのはL'Anticaが多いようです。

特に恋鐘が多い。苗字が持つイメージからでしょうか。

うさぎと描かれることが多いのも月のうさぎとかけてのことか。

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次に多いのは咲耶のようです。

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ただし、咲耶については、これといった理由がパッと浮かびません。

まぁ、パッと浮かばないところこそ創作しがいがあるんですが。

 

複雑な感情と月をシャニマスで描く

今回焦点を当てる候補を恋鐘と咲耶に絞り、どんなストーリーにするか、曲を聴き込みながら考えていきます。

1ヶ月ほど様々な曲に当たっていると、あるアイデアが浮かんできました。

それは「もし、咲耶がファンからの手紙を始めてもらったのが満月の日だとしたら?」というものです。

GRADを踏まえた上でなら、先の和歌で引用した複雑な感情と月と咲耶が成り立つ気がしたのです。

 

GRADの概要

GRADで咲耶は、モデル時代のファンから手紙をもらいます。

その手紙曰く「昔の咲夜様に戻って欲しいです」。

咲耶はこれに動揺するも、自分で選んだ最善の道を行くとして、

アイドルとして今のあり方を続けること(=彼女との訣別)を選択します。

とはいえ、頭でわかっていても、自分がいつか彼女に受け入れられることを願わざるを得ない。

 

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GRADでは咲耶の行く「道」にかけた印象的な背景が多数

 

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GRADと月を結びつけて考えてみる

人々から手が届かない存在のモデルは、手が届かないという意味で月のようだといえます。

あのファンからの初めての手紙を読んだのが月の下だったとしたら、

月を見るたびに、咲耶は彼女のことを思い出すでしょう。

そして、彼女との決別を決めるのも月の下でしょう。

そうやって彼女を捨てると決めつつも、いつか受け入れられることを願わざるを得ない。

なぜ二律背反な感情を持ちうるかというと、月がそうさせているからです。

(劇中では車の中でプロデューサーに彼女と決別することを告げますが、告げる時が思い立ったときではないとして解釈しています)

 

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まぁ、多少強引にまとめた感はありますが、こんなことを思いながらMADを作成していました。

下記からどうぞよしなに。

 

第3回シャニマス投稿祭「今宵の月に叶わぬ願いを」

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【シャニマスコミュ考察】黛冬優子 ダブルキャストと胡蝶の夢

個人が複数個のアカウントを持ち、フェイクニュースが蔓延る現代。真実と虚偽の境界がどんどん曖昧になっているような錯覚に包まれる。大変な時代なんです、と2000年以上昔を生きた荘子に相談したら、一笑に付されそうです。彼は、自分の人生は蝶の見ている夢かもしれない、と考えるような人でした。もとより真も偽も存在しない。そんな世界の中で、猫被りの彼女が見せてくれる「本当の素顔」とは、本当の彼女なのでしょうか?

 

待望の2週目冬優子実装

7月21日に待望の2週目冬優子が実装。4週目三峰の情報がほぼ無い中ではありましたが、5人中4人が限定とかないだろう、とタカを括って冬優子をお迎えしました。それほどまでに、ガチャ演出の冬優子がカッコ良い。

 

また、フェス演出も素晴らしい。サイバーパンクの世界の中で、和装に身を包んだストレイライト。さらに、世界の哲学が引用されているではありませんか。元ネタの考察が何より好きな私にとって、2週目冬優子は無視できる訳なかったのです。

 

今回は、2週目で引用されている中でも比較的わかりやすい「胡蝶の夢」から、冬優子の魅力に迫っていきたいと思います。

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荘子の見た夢

昔の中国に、荘子という思想家がいました。ある日、彼がうたた寝していると、蝶になってひらひらと舞う夢を見ました。気持ちよく中を舞う夢から覚めた後で、荘子はこう考えました。「俺は今、蝶の夢から覚めて人間に戻ったと思っている。でも、実は、人間に戻っていると思ういまこの時こそ、蝶が人間の夢を見ているのではないか?」

 

これは胡蝶の夢と言って、いまだに語り継がれている荘子のエピソードです。今、人間として生きている自分が、胡蝶の見る夢ではないことを否定できない。それでは、私たちは何も信じることのできない虚偽の中に生きているのでしょうか?

 

個人の解釈によりますが、荘子が伝えたかったのは、そうではないと思います。

 

自分が蝶になっている時には、それが夢かどうかなんて考えずに蝶らしく生きること。その場その場で、その瞬間を肯定して生きる。その一方で、蝶が見ている夢にすぎぬ、と執着せずに生きる。

 

二律背反しているようですが、肯定しつつも執着しない生き方、有にも無にも、真にも偽にも囚われない生き方を解いたのではないでしょうか。

 

真と偽、これはストレイライト、特に冬優子を見ていくには重要なワードです。

 

2週目ストレイライト

ご存知の通り、冬優子は最大限に猫をかぶってアイドルをしている。彼女の笑顔は作り物でしかない、WING編のカメラマンとのやり取りで冬優子は「本物の笑顔」について葛藤することになります。

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眉がキッ!ってなるのがかわいい

「本当の自分、本当の笑顔」に葛藤した冬優子が、GRAD編でどっちも本当だから、と言ったのは印象的です。

 

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冬優子はもともと自分が性格の悪いことを自覚しており、みんなの前では綺麗な自分を「演じて」いたのです。演じている「ふゆ」は肯定的な真の自分、演じていない「冬優子」は否定的な偽の自分と言えるでしょう。

 

しかし、アイドルの活動を通して、彼女の中の認識が変わってきたのです。真偽もない、どちらも本物だから。これは、「胡蝶の夢」の深い理解に似ているように見えます。

 

ちょっと脇に逸れて

今回は冬優子の考察ですが、せっかくなので2週目のあさひと愛依についてもちょっとだけ言及しておきます。

 

荘子が「胡蝶の夢」で伝えた、「執着せず、かつ肯定しつつ生きる」こと、これは仏教の思想とよく似ています。中国に生きた荘子がインドに生きたブッダの思想に触れる機会はなかったかと思いますが、同じような境地にたどり着いたことは大変興味深いです。

 

執着せずかつ虚無に囚われず生きることは、仏教では「空即是色 色即是空」や「諸行無常」といった言葉で表されますが、これらを英訳すると下記のようになります。

 

ALL IS VANITY(色即是空

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ALL THINGS MUST PASS(諸行無常

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もっと深掘りして考察してみたい方は、参考文献をご参照ください。

 

最後に、これまでと違ったストレイライトを

煩悩まみれの凡夫がわかったように仏教の紹介をするのはこの程度にしておきます。

 

「どちらも本物だから」と胡蝶の夢のように真偽に囚われず、肯定することに成功した冬優子に対して、我々凡人にとっては、真偽から抜け出すことは相当に難しいことです。

 

胡蝶の夢」「色即是空・空即是色」と唱えてみたところで、上司はウザいし、仕事は辛いし、腹は減る。単語の意味を知っていたからとって、そのままで悟りは得られません。

 

そう、凡夫である私はいまだに、冬優子が「自分の前では、ファンの前で見せない本当の自分を見せてくれている」と真偽に囚われている。一方、冬優子が見せるファンの前の顔、プロデューサーの前の顔、あるかもしれない他の顔、これら全てが冬優子にとって本物であり、もはや真偽そこには真偽はないのです。

 

私にとって、この対比が何か魅力的なものに思えてきました。

 

ニコニコ動画でMADを見ていると、ストレイライトにはかっこいい動画が多い印象を受けます。そのカッコよさは例えばL'Anticaとは違ってクールなカッコよさではありません。ストレイライトには越えるべき「壁」があり、葛藤があり、それとガムシャラにぶつかっていく。それは、少年マンガ的な熱さを持ったバトルなのです。

 

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ストレイライトはアツくてカッコいい

 

それはストレイライトの魅力の一面です。ですが、彼女たちの魅力はそれだけでしょうか?

 

今回、「胡蝶の夢」を中心に見てきましたが、そこに描かれているのは真偽を超えてしまった先にいる冬優子でした。対して、彼女のプロデューサーである私は、彼女が本当の自分を見せてくれていると、まだ真に囚われている。

 

そうやって捉えてみると、「壁」は今度はこちら側に存在するのです。冬優子たちはその「壁」をもう超えてしまって、圧倒的に先に進んでしまっていて、囚われのないサイバーパンクの世界にいる。

 

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そして向こう側から、こちらを嘲笑う、まだ真偽に囚われているの?と。圧倒的な高みに到達してしまっていて、もはや何にも囚われない(電子上のデータのように時間にも、空間にも囚われない)。そんなカッコよさもあり得るのではないでしょうか?

 

こう考えながら、久しぶりにMADを作っています。でも、作成しながらふと思うのです。果たして、これは本当に冬優子なのだろうか?と。

 

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参考文献

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プロットの段階では、般若心経に登場する「空即是色」をメインに据える予定でした。

簡単に理解できたとは口を裂けても言えませんが、著者の語り口は、

人生についても考えさせられます。

 

 

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2週目ストレイライトを仏教から読み解く上で、

障害となったのはヘラクレイトスの「パンタ・レイ」と荘子の「胡蝶の夢」でした。

禅僧による荘子の解説である本書は、特定の宗派からではなく、

その内容から考えるヒントになりました。

 

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仏教の真理に対して、和歌からアプローチした西行は、

真理を語る中でこんな和歌を残しました。

 

山ふかく さこそ心は かよふとも

すまであはれは 知らんものかは

(山ふかく どんなに心は 通っていても

 住んで心を澄ませずには、「あはれ」を知ることは出来はしない)

 

知識だけでわかったような文章を書くことを戒めると同時に、

「悟っていないプロデューサー」という視点の発想をここから得ました。

西行の歴史を歩く 花の下にて

2018年3月、寮の近くにあった寺院をぶらりと訪れてみると、出迎えてくれたのは満開の桜。まだ少し寒い風が吹く中で、私はポケットのウォークマンから桜の季節らしい曲を探しました。いくつか目に止まった中で、一番しっくりきたのは「幽雅に咲かせ墨染めの桜」のジャズアレンジバージョン。東方妖々夢のクライマックスを飾る曲を聴きながら、私は平安時代の坊さんについて想いを馳せ始めたのです。

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史実と虚構のはざまに

東方妖々夢の主軸となる妖怪桜、西行妖。その誕生の発端となったのは歌聖が詠んだある和歌でした。

 

願わくは 花の下にて 春死なむ

その如月の 望月の頃

 

この和歌の通りに歌聖は世を去り、その死に様に感動した人々が同じ桜の下で後を追ううちに、ただの桜が妖怪桜になってしまった・・・

これはゲーム・東方妖々夢のプロローグです。

 

ここに登場する「ある歌聖」とは平安末期に実在した西行法師。

彼は日本各地を旅しながら、数々の和歌を残しました。百人一首に選ばれている、以下の歌が有名です。

 

嘆けとて 月やはものを 思はする

かこちがおたる わが涙かな

 

冒頭の「願わくは」歌は、西行の最期の和歌として知られています。彼はこの和歌の通り、釈迦入滅と同じ月に、満開の桜の下で生涯を終えました。命日は釈迦と1日違いだったとされます。

 

ここまでは史実、つまり実際に起きた出来事です。

 

この史実をもとに、ゲームの原作者は「人々が感動し、後追いまで出て、妖怪桜が誕生した」と架空のストーリーに繋ぎました。

 

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画像は西行法師の娘とされる「西行寺幽々子

 

ですが、実際にそんなことは起こり得たのでしょうか?現代の感覚で考えてみましょう。例えばローマ教皇ダライ・ラマが亡くなった時、私たちはテレビを通じて、生きていく希望ごと失われてしまったかのような人々が、悲しみにくれて涙を流す様を目の当たりにします。確かに1人の死は多くの人々に影響しうる。

 

一方、西行は宗教上の要職にあったわけではありません。当然、その死がテレビで報道されるはずもない。西行のひっそりとした死が、同時代の人々に影響を与えることが可能だっのでしょうか?可能だとしたら、実際にどんな影響があったのか?

 

私はこのように疑いながらも、実際にそういうことがあったと史実に残されているのではないかと思ったのです。原作者はその史実を手がかりに作品を想像した。そうでないと、このプロローグが非常に突飛なものになってしまう。

 

私が勝手にあると決めつけた史実は、そのとき何か魅力的なものに思えました。自分はまだ知らないけれども、確実にあるハズのもの。それを追ってみることで、これまで目にしたことのない光景、知らなかった事実に触れることができるのではないか?

 

それは私の東方妖々夢を見る目すらも変えてしまうのではないか?そんな気がして、西行の跡を追い始めたのです。

 

西行の生き様

西行の死に様を知るためには、西行の生き様を知らなければならない。

そう考えて、様々な書籍に当たり、彼が和歌を詠んだ場所を訪れていきました。そうするうちに、西行の人生がぼんやりと見えてきました。

 

西行は僧侶でありながら、旅と和歌に行きた人でした。奥州・平泉や紀州・熊野、四国・讃岐など様々な場所を訪れ、和歌を読んでいます。

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紀州熊野古道の中辺路

 

西行にとって、和歌とはなんだったのでしょうか?

それは、一言でいえば和歌即真言西行にとって、和歌とは仏教の真理を語るための言葉でした。

 

和歌のことをそんなふうに考えている人は西行以外にいませんでした。なので彼と同時代の人たちは、西行の和歌には不思議な力が宿ると考えたのです。

 

実際に、西行は和歌の力で不思議なことを起こしました。

 

例えば、保元の乱で負けてしまい、配流となった崇徳院という方がおられました。流された先の讃岐で崇徳院は生涯を終えるのですが、絶望のあまり怨霊となった、と都の人々が噂するようになります。噂には尾鰭がついて、とうとう怨霊を見た、という人まで出る始末。

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怨霊となった崇徳院

 西行は、生前の崇徳院と面識がありましたから、讃岐を訪れて彼の魂を慰める和歌を読みました。

 

よしやきみ 昔の玉の 床とても

かからんのちは 何にかはせん

(我が君よ もうよしてください 昔の様に玉座についておられても

 この様なことになってしまっては 一体何になるのでしょうか)

 

西行が讃岐に渡り、崇徳院の魂を鎮める和歌を読んだことが都にも流布すると、怨霊の噂もピタリとやんだのです。

 

 実際に不思議な力があったのか、それとも人々が都合よく解釈したのかは不明ですが、西行の和歌が仏教の真言であり、不思議な力が宿ると当時の人々が本当に思っていたことは事実です。そして、その極め付けがこの和歌です。

 

願わくは 花の下にて 春しなむ

その如月の 望月の頃

 

和歌の通り、西行は満開の桜と満月の下で、しかも釈迦と1日違いで生涯を終えました。

 

西行和歌の不思議な力で、西行は望んだ通りの死を迎えた。そのことは都の人々を多いに感動させたようです。歌壇の重鎮・藤原俊成天台宗座主・慈円と寂蓮、藤原定家と公衡が西行の最期と和歌についてやりとりを交わしているのが残されています。

 

後追いはあったのか?

ここまで見てきた通り、西行が和歌の通りに死んだことは、都の人々を大いに感動させたことは間違いありません。

 

でも、東方妖々夢のストーリーにあるように、後追いはあったのでしょうか?

結論から言うと、私はほぼなかった、と思っています。

そのことについて、弘川寺から考えてみます。

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西行終焉の地 弘川寺

 

弘川寺は河内にある寺院で、西行終焉の地として知られているだけでなく、春は桜が、秋は紅葉が美しい、知る人ぞ知るスポットでもあります。

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秋の弘川寺


現代の我々は西行が弘川寺で亡くなったことを知っていますが、西行がどこで亡くなったのかについては、江戸時代まではっきりしていませんでした。西行平安時代末期の人ですが、鎌倉時代にはすでに、弘川寺とは別の寺が西行終焉の地として、誤って認識されていた様です。

 

これこそ、西行の後追いがなかったことの証拠ではないでしょうか。もし、妖々夢のストーリーのように、多くの後追いが出たのであれば、その事実ともに、西行が弘川寺で死んだことも残されるはずです。ですが、実際にはそのようなことはなかった、故に平安から鎌倉の動乱の中で、弘川寺のことをみんなが忘れてしまった、そんな気がするのです。

 

それでも信じられない方は、西行が亡くなった3月下旬頃に弘川寺を訪れてみるといいでしょう。静かな、それでいて寂しさを感じさせない山里の中に弘川寺はあります。麗かな春の日差しの中、桜だけがはらはらと散っていく。時々、遠くのほうでホトトギスの鳴き声が聞こえて来る。

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山里の静かな夕暮れ

 

春の弘川寺にいると、西行が弘川寺を終の住処に決めたのもわかる気がします。彼は世を捨てて好きに和歌を詠むだけの平穏な人生を送ったのではなかった。崇徳院木曽義仲平清盛・・・動乱の中で、多くの人々が権力を極め、そしてその座から転げ落ちて行った。西行自身も生き残ることと、和歌を次の時代に引き継ぐことに必死だった。そんな彼が、自分の仕事を全てやり切った上で、最後の場所に選んだのが弘川寺なのです。

 

この静かな空間には後追いなんて似つかわしくない。

西行の願わくはの和歌を詠んだ。でも、その和歌は死ぬことそのものを詠んだのではなかった。

桜が満開の弘川寺で、私はそう確信することが出来たのです。

 

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西行法師の墓


でも私は冒頭で、ほぼなかった、と書きました。ほぼなかった、と言うことは例外があったのです。この例外も、現地に行ったからこそ知ることが出来ました。せっかくなので紹介させていただきます。

 

唯一の例外、それは江戸時代の僧侶でした。名前を似雲といいます。大の西行好きで、「今西行」の異名を取る彼は、鎌倉時代に分からなくなっていた西行終焉の地が弘川寺であることを突き止め、自らも弘川寺で生活をするようになります。

 

彼は弘川寺に住むだけではなく、その周囲に桜の木を植えました。弘川寺は主にソメイヨシノと山桜を見ることが出来ますが、ソメイヨシノは江戸時代に大流行した品種ですから、私の写真に写る桜も似雲が植えたものかもしれません。

 

 その似雲は、自らが発見し、桜で飾った弘川寺で生涯を終えました。似雲の墓は、西行の墓の近くに残されています。その人生はさぞや満足のいくものであったことでしょう。西行の非常に面白い点は、このように後世の人々が西行の和歌を再現しようとするところです。これは別の機会に書きます。

 

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似雲の墓


以上、見てきた通り、西行は宗教上の要職にはありませんでしたが、その彼の和歌には不思議な力が宿ると考えられていました。その和歌の通りの彼の死は、多くの人々を感動させた。でも、後追いと言えるようなものは似雲を除いてほぼなかった。

 

ですから、弘川寺まで出向いて西行妖に出会すなんてことはありません。コロナが落ち着いたら、弘川寺で西行に思いを馳せてみるのはいかがでしょうか?

 

主要な参考文献

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西行を描きながらも、辻邦生の世界観が前面に押し出されていて読み応えのある一冊。

西行の生涯を一通りなぞるのであればこれ。辻の小説らしく風景の描写がとても美しい。

 

 

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西行をテーマに各地を旅してみようと思わせてくれた一冊。

知識のある人はこういうことを考えながら旅をするんだなぁ、というのがわかる。

教養のある白洲先生と違い、教養のない私は何を書くべきか、とか考えたりもした。

 

www.amazon.co.jp

西行の和歌に触れてみたい方はこちら。

本書以外にも、角川ソフィアのビギナーズクラシックスにはいい本が多く、

とりあえずこれから読んでおけば間違いないとオススメできる一冊。

 

関連記事

neuegeschichte.hateblo.jp

 

neuegeschichte.hateblo.jp

 

 

 

 

【漫画 煙と蜜】大正時代の名古屋

いつもの本屋である漫画が目につきました。タイトルは「煙と蜜」。

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表紙に描かれた男女は、(と言っても女というより女の子という方が正しいのですが)その服装で作品が大正時代モノであることを強烈に主張しています。

 

歴史をテーマにブログを書いている者としてこれはスルーできません。手に取って、帯を見てみると「大正5年、名古屋」と書かれています。

え、大正で、なんでわざわざ名古屋・・・?

 

筆者は名古屋生まれの名古屋育ちで、好きな野球チームは中日ドラゴンズ。20年間を過ごした地元のことはそれなりに知っているつもりです。

だから「大正時代って言ったら帝都東京でしょ?物語の舞台になるほどの魅力って名古屋にあったっけ?」と思ったのです。

 

工業でも農業でも日本で上位に食い込む愛知県ですが、観光業についてはかなり劣ると言わざるを得ません。ですが、東海道新幹線のおかげで、名古屋人には京都も東京も近い。日帰りの東京観光ですら不可能ではないのです。

 

名古屋人にとって、レジャーは県外に求めるもの。自前で自慢できる観光力を持たない代わりに、それがあることによる煩わしさから解放されるという利点を享受しているのです。

 

そんな華のない街・名古屋で、モボやモガの闊歩する花の時代を描く理由はなんだろう?などと考えながら、レジに足を運んだのです。

 

簡単な内容説明

良家の娘である花塚姫子(12歳)と、帝国軍の将校である土屋文治(30歳)は許嫁の関係で、3年後に正式に結婚する事が決まっています。

 

キャッチコピー「戀から愛へ。子供から大人へ。」の通り、主に姫子の視点から、二人の関係が描かれているのですが、これがキュンキュンする訳ですね。

 

文治さまは男の目線から見てもセクシーで、彼が煙草の煙を燻らせるシーンを見ると、こういうの見てみんな煙草始めるのかな、とも思えてきます。

 

また、2人の関係だけではなく、大将時代における日常、四季の変化や、何気ない日常を丁寧に描いていく感じは、天野こずえARIAを思い出しました。読んでいて、ほっこりと落ち着くのです。

 

ですが、ずっとこんな感じで続く訳でもなさそうです。

 

第一巻の後半では文治さまが30歳にして帝国陸軍第三師団・歩兵第六連隊の大隊長であることがわかります。

Wikiで調べてみると、第三師団は大正時代に実際に名古屋に置かれていたようで、この第六連隊は、大正7年にシベリアへ出兵することとなる・・・

ここから、出兵の前後が物語のハイライトになることが想像できますね。

 

それでもなんで・・・?

山場が出兵前後であると推察される「煙と蜜」ですが、なぜあえて、大正5年・名古屋なのでしょうか?

 

戦争で引き裂かれる二人をテーマに描くのであれば、他の時代・他のロケーションもあり得るはずです。

 

例えば、明治の女流歌人与謝野晶子。彼女の弟は日露戦争に従軍し、旅順での作戦に参加することなるのですが、その時に与謝野晶子は有名な「君死にたまふことなかれ」の歌を残しました。

 

与謝野晶子の弟が所属したのは大阪の第四師団・第八連隊ですから、舞台を1900年の大阪に設定しても、戦争で引き裂かれる男女を描くことはできるはずです。しかも、与謝野晶子と同時代の舞台ということで、一般的にもわかりやすい。

 

にもかかわらず、大正5年の名古屋を舞台に選ぶのはなぜでしょうか?

私は、以下の2つの可能性が挙げられると思います。

 

①作者は旅順でもその他の戦場でも無く、シベリア出兵こそ描きたい

②作者は大正時代の名古屋に魅力を見出している

 

ただ、①の場合、出兵の3年前からゆっくりとした日常を描くのはちょっとチグハグな感じがします。

 

それよりは、大正時代の名古屋に魅力を見出し、物語のアクセントとしてシベリア出兵を置く②の方が自然なように見えます。

 

ここまでが、巡礼の前置き

20年間を過ごした私にとって、大正時代の名古屋はいまいちピンとこない。

一方、漫画 煙と蜜の作者は大正5年の名古屋に魅力を見出している・・・

 

地元民でも知らない魅力とは一体なんだろう?と思ってカメラを片手に、きちんとマスクをつけて帰省しました。

 

目指すは、名古屋駅から桜通線名城線を乗り継いだ先の市役所駅。

このエリアでは、明治・大正っぽい建物が残されているイメージがあったのです。

 

ということで、市役所駅から徒歩10分ほどで名古屋市市政資料館に到着。

ここは明治・大正から令和に至るまでの名古屋の歴史が展示されているだけではなく、建物自体も大正11年に建築されています。

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入館は無料で、時代を感じさせるエントランスが迎えてくれます。

地下の大学図書館のような古めかしい香りがしている。

 

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二階の展示スペースは写真撮影可能な場所もあるとのことで、回ってみました。

 

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右下に第三師団司令部とあります。文治さまの勤務地ですね。

 

第七話「兵隊と金鯱城」の一コマ目と似ています。漫画はもう少し弾き気味の構図であるところと、正面に木が生えていないところが違いでしょうか。

 

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こういったシーンも漫画の中で登場してそうですね。

 

展示ムービー曰く、覚王山・広小路通り周辺には大正時代の建築が残されているとのことでした。ネットで検索してみると、大正時代から続く喫茶店とかもヒットしますね。

こうしてみると、私が知らないだけで、大正時代の素敵な建物は結構残されているのかもしれません。

 

「煙と蜜」に登場するかも?とか思いながら、名古屋を巡ってみるのオツなものかもしれませんね。

 

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名古屋大正めぐり、続くかも・・・?

 

 

 

 

【シャニマスコミュ考察】杜野凛世 GRAD編

凛世のGRAD編はわかった様で分かりにくい

海岸線にて、心が「痛い」少女は、プロデューサーの声によって「あ」を獲得し、「会いたい」と言える様になる。これは凛世GRAD編のハイライト。凛世が演じる「あ」のない少女からの繋げ方が秀逸で、感動的なのは間違いありません。一体、何を食ったらこんなコミュが書けるのでしょう?

 

でも、一旦冷めて考えてみると、よくわからないところも多数あります。GRAD編は少女αと少女βの対比の物語です。では一体、凛世の中の何がαとβなのでしょうか?

 

凛世をPラヴ勢の文脈で読んでみましょうか。仮にαをプロデューサーに一途な凛世、βをファンサしたい凛世と置いてみたとしても、最後のセリフが引っかかります。

 

「プロデューサーさまに会いたくて、前に進みたくて、人の心を動かしたくて」

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これは一体αとβどちらの凛世から発せられた言葉なのでしょう。

 

そう、凛世のGRAD編はPラヴ勢の視点では、わかった様でわからなくなるのです。

 

実は、プロデューサーへの恋とファンへの愛での葛藤は、微熱風鈴やWing編ですでに触れられてきているのです(あとの方で振り返ります)。なのに、今更それをGRAD編で焼き直したのでしょうか?そうは思えません。

 

だとしたら、GRAD編はラヴではなく凛世の別の側面が描かれているのではないでしょうか?この問いから出発し、今回は過去のコミュを参照しながら読み解いていきたいと思います。

 

Wing編を振り返る

優勝すれば大円団のWing編。凛世のストーリーも一見そのように見えますが、実はプロデューサーと凛世の間で大きなスレ違いが起きています。

 

シーズン3通目通過後のコミュをご覧ください。プロデューサーは凛世に対し、「もっと欲張りになれ」とアドバイスします。

 

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これに対し、凛世はどんな答えを導き出したのでしょうか?それは、優勝後のコミュで明らかになります。

 

 

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みなさまの想い(=期待)に応えたい。そばにいたい。

 

 

結局、Wing編で凛世はプロデューサーの言う様な欲張りにはなれなかったのです。それよりも、期待に答えることで、ファンやプロデューサーと一緒にいること、これこそが凛世にとって最も重要な願望となったのでした。

 

これは「夢と知りせば、覚めざらましを」で始まる朝コミュからも窺い知ることができます。

 

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思ひつつ寝ればや人の見えつらむ

夢と知りせば 覚めざらましを

 

あの人を思いながら寝たから夢に見たのだろうか

夢と知っていれば(現実で会えない分も)覚めずにいたものを

 

これは小野小町の和歌で、彼女は現実に想い人と一緒に「居られない」悲しさを和歌に詠みました。

 

そのため、選択肢で「歌人と同じ体験ができたんだな」の選択を選ぶとノーマルコミュニケーションとなってしまいます。なぜなら、凛世は「できることなら、このようなことには(小町のようなことにはなりたくない)・・・」と思っているのですから。

 

一緒に居たい、相手の期待に答えていたい。でもそれ以上のことは自分から望まない。このスタンスは少女β的ではないでしょうか。

 

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改めてGRAD編を読む

プロデューサーと、ファンと一緒にいたい。凛世はこの願望を最優先して叶えます。

 

この願望の成就のためには、ダンスも心を込めて完璧に舞います。でもその姿勢は、トレーナーにとって、何か足りない様に見えてしまったのです。凛世自身は自分の願望の成就の為に一生懸命に踊っているにも関わらず・・・このギャップに凛世は悩み、苦しみます。

 

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やがて、凛世が苦しんでいることはプロデューサーにも伝わってしまいました。彼は凛世に休暇を出します。これは無論、良かれと思っての行為ですが、凛世にとっては「プロデューサーと一緒にいたい」という唯一の願望をプロデューサーによって奪われてしまう形になります。

 

会えないのであれば、会いに行けばいい。ですが凛世にとって、そう簡単にはいきません、人の期待に応え続けてきた彼女には、自分の願望を人に押し付けることができないのです。だから、「会いたい」と思っても、それを伝えることができない。

 

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伝えることができないだけなのに、「あ」を持ち合わせていないと思い込んでいく・・・

結局、そんな凛世を救ってくれたのもプロデューサーでした。

 

 

「ないんじゃない、出すのを躊躇っているだけ」

この言葉を受けて、凛世は伝えることができなくなっているだけと悟ったのです。

 

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「プロデューサーに会いたい、前に進みたい、人の心を動かしたい」 

 

つまりこれは、凛世のβ的側面が、これまで抑圧してきた願望を口にしたときのセリフであり、これらは全て、βが持っていないと思い込んできた「あ」にあたるわけです。

 

これまで凛世は「みなさまの想いに応えたい」という願望を最優先してきた。それはファンやプロデューサーと一緒に居続けるためです。次第に「会いたい」とか「前に進みたい」、「人の心を動かしたい」といった自分自身から発せられる願望は後回しにされていったのです。

 

ここまで見てきたとおり、GRAD編のテーマはプロデューサーに対するラヴではありません。そのテーマは、凛世の願望の順序の問題です。知らずに自分本来の願望が後回しになっていることに凛世自身が気づき、それを乗り越えていくストーリーなのです。

 

終わりに

最後に、凛世が少女β的に自分の欲求を後回しにするようになったのはいつ頃からなのか、考えてみましょう。

 

十二月短編でも、凛世花伝でもプロデューサーに放置されてしまうのに、

「待って」とも「戻ってきて」とも言わずに、黙って受け入れています。

 

ひょっとしたら、印象派のこのシーンから、自分の衝動や欲求に従って行動することに躊躇いを覚えるようになっていたのかもしれません。

 

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いずれにせよ、かなり早い時期から自分の欲求は後回しになっていたことが想像できます。 

 

こうみると、最初期のSRこそアグレッシブに見えてきます。

 

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この時期の凛世には、自分がアイドルであるという自覚が薄く、「みなさまの想いに応えたい」という願望を持つ前だったのでしょう。それがかえってプロデューサーに対して積極的になれた原因かも知れません。

 

PSR想ひいろはの「想いぬれど」はチョコ先輩から借りた漫画にかこつけてグイグイいくし、「雨宿り」はこのまま雨が上がらなければいい、なんて願望をプロデューサーに伝えています。

 

最近は報われなさが目立った凛世ですが、GRAD編を経て自分の願望を表現することを取り戻しました。

だったら、これからの凛世のコミュには、こんな和歌が似合うのではないでしょうか?

 

鳴神の 少しとよみて さし曇り

雨も降らぬか 君を留めむ

 

雷が少し鳴って、曇ってきた

雨が降るかもしれないから、貴方を引き留めたい

 

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西行の歴史を歩く 熊野修行

前回の記事では、西行の出家について触れました。

 

彼の出家の原因の一つには、待賢門院との恋愛がありました。西行は出家した後も、待賢門院のことを気遣ってか、なかなか京都を離れることはできなかったのです。

 

ですが、1145年に彼女が世を去ったのち、西行も都を離れて修行を行うようになります。

 

今回扱う熊野も彼の修行地の一つ。西行には熊野で呼んだとされる和歌があり、様々な季節で詠まれていることから、熊野で修行をしたのは一度や二度ではないと推測されます。

 

では、西行が何度も修行をしたとされる熊野とは、一体どの様な場所なのでしょうか?

 

熊野はどんな場所?

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熊野の存在は遥か昔、神武天皇の伝説の時代にまで遡ります。那智大滝を発見されたのが神武天皇とされているのです。神武天皇が大和に帰る際の道案内を務めたとされるのが、八咫烏で、現在では日本サッカーチームのシンボルとなっています。

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神武天皇

 

平安時代になると、大陸から伝来した仏教と日本古来からある神道の結びつきが強まっていき、熊野も神仏混淆の聖地とみなされる様になっていきます。

 

平安時代には他にも注目すべき出来事が起こりました。宇多天皇が熊野詣(熊野御幸と言います)を行ったのです。宇多天皇天皇という神道のトップの立場でありながら、寺院を建立しその門跡(住職)になられたお方です。

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宇多天皇

 

天皇による熊野詣では人口に膾炙し、平安時代には蟻の行列の様に熊野を目指す人々が絶えなかったそうです。

 

宇多天皇の熊野御幸は、のちの天皇にも引き継がれていきました。後白河天皇後鳥羽天皇をはじめ、数多くの天皇が熊野御幸を行う様になります。

 

では、なぜ天皇は熊野を訪れたのでしょうか?

 

一つ目は宗教的な理由です。熊野では、歩くこと自体が修行になります。老若男女・貴賎を問わず、歩いて熊野本宮大社を目指す。その修行を通じて、神仏の加護を得られると考えられていました。

二十八回もの熊野詣でを行った後鳥羽上皇は、承久の乱隠岐へ流されてしまいますが、そときに読んだ和歌が残っています。

 

岩にむす 苔踏みならす み熊野の

山のかひある 行末もがな

(熊野の山の峡を見ながら岩に生えている苔を踏み鳴らすほど通った。

 その甲斐あって、世の中の行く末が良くなってほしいものだ)

 

二つ目には現代でいうところのリフレッシュがあったことでしょう。京都にいる限り公務から逃れられない天皇であっても、熊野まで来れば大自然に囲まれ、忙殺される日々から解放されることが出来ます。

 

三つ目としては政治的な理由があります。熊野には代々住み着いた豪族がいて、水軍を有していました。東海道を往くにせよ、西海道を往くにせよ、京都にとって熊野は後背地に当たります。京都の安全保障上からしても、熊野との関係は重要だったのでしょう。

 

我もしてみんとす

以上の歴史を踏まえて、実際に熊野修行を行ってみました。

熊野修行にはいくつものルートがありますが、現代で主流なのはそのうち中辺路と呼ばれるルートです。

 

和歌山県紀伊田辺で前泊し、翌日の早朝からバスで滝尻王子まで移動。

現代の熊野修行はここ、滝尻王子から始まります。

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1日目は滝尻から近露王子までの20キロをひたすら歩く。道中には高原の里など、素晴らしい光景が広がっており、これが苦行であるということを忘れてしまいます。

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6時間ほど歩けば近露王子に到着。ここで一泊し、翌日は熊野本宮大社までの残り20キロを歩きます。

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つまり、2日日間で40キロも歩くわけです。1日あたり6〜7時間ひたすら歩く。

一体どんな人が、こんな苦行なんてやるんだ、と思ってました。

 

でも、案外いけます。

むしろだんだん気持ち良くなってくる。

 

熊野の道中に電波はありません。納期や上司のことを考えるべくもないほどの険しい道を登り、その先で素晴らしい光景に出会う。

 

熊野には、大自然と先人達が歩いた道しかないのです。この中で、普段の煩わしい文明から解き放たれて、ひたすら歩き、時々飯を食い、眠る。

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こうするうちに、普段の余分なことが剥がれ落ちて、「生きることってこういうことだよな」と、わかった様な気になるのです。

 

本当に、巡礼の道とは良くできている。

2019年には7月と10月の二度も修行してしまいました。

 

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大社に着いた後は、熊野の温泉街で2日目を終えます。

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湯峯温泉街

中辺路の修行はここまでですが、せっかくなので那智滝のある那智勝浦まで足を伸ばしました。紀伊半島を西から東に横断したことになります。

 

那智大滝

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落差日本一である那智滝の前に佇んでいると、人間を超えた力に圧倒されます。

神や仏以前に、私たちが持っていた自然信仰とはこの感覚ではないか、そんな気にさせられるのです。

 

西行は一般に真言宗の僧侶とされていますが、天台宗のトップ(座主)や伊勢神宮の神官と交流があり、特定の宗教に囚われない思想の持ち主でした。

 

次の和歌は、一般に西行が呼んだとされる和歌ですが、その源泉は、ここ神仏混淆の聖地・熊野にある、そんなふうに思えてくるのです。

 

なにごとの おはしますかは 知らねども

かたじけなさに 涙こぼるる

 

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参考文献

白洲正子, 西行, 新潮文庫

西澤美仁, ビギナーズクラシックス 日本の古典 西行 魂の旅路, 角川ソフィア文庫 

金森早苗編, 楽学ブックス 神社4 熊野三山, JTBパブリッシング

金森早苗編, 熊野古道をあるく, JTBパブリッシング

吉野朋美, コレクション日本歌人選028 後鳥羽院, 笠間書院

辻邦生, 西行花伝, 新潮文庫

 

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西行の歴史を歩く 出家と法金剛院

願わくは 花の下にて 春死なむ

その如月の 望月の頃

 

この通り和歌を読み、東方妖々夢西行妖誕生のきっかけを作った西行法師、

今回は京都は嵯峨野線の花園にある法金剛院から、彼の若かりし頃にスポットを当てていきましょう。

 

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西行の俗名は佐藤義清、代々武士の家系で彼自身も北面の武士(宮中の警護隊)として勤めてました。北面武士は武芸だけでなく、容姿の良さや教養も必要とされるぶん、将来の成功も望める役職であります。

 

あの平清盛も若かりし頃に北面武士であったようです。天皇に近い役職という有利が、平家の時代を作る下支えになったことでしょう。

 

さて、将来を確約された仕事についていた西行ですが、北面武士を突如として辞めて出家してしまいます。その理由は定かではありません。同僚の突然死によって無常感を悟った説や、ある高貴な女性からフラれたショックによるとする説が有力ですが、これら様々な思いが西行の中で渦巻いていた結果であり、一つの原因に収束できないというところが実態かと思います、なにせ、出家したのは23歳、悩み多き年代ですから。

 

ところで西行をフッたとされる高貴な女性は藤原障子後の待賢門院であると言われています。彼女は、白川上皇の孫娘で、鳥羽天皇の妃であり、崇徳天皇の母親にあたる高貴な女性です。

 

障子の人生は祖父である白河上皇の時代に絶頂を迎えましたが、それも長くは続きませんでした。白河上皇崩御後、鳥羽天皇の寵愛が別の女性(美福門院)に移ってしまったのです。

 

美福門院との権力闘争に敗れた彼女は、自信が建立した法金剛院で出家し、そのまま生涯を終えることとなります。

 

障子が出家して待賢門院となる頃には、かつての義清も出家し、西行となっていました。お互いに出家した後も、2人の交流は続いてた様で、待賢門院の従者である堀川局と西行が交わした和歌が残っています。

 

尋ぬとも 風の伝にも 聞かじかし

花と散りにし 君が行方を   西行

(尋ねても風の便りにも聞くことができない、

 花のように散ってしまった待賢門院の行方は)

 

吹く風の 行方知らする ものならば

風と散るにも 遅れざらまし   堀川局

(吹く風が行方を知らせてくれるのならば、

 遅れずに後をついていくのに)

 

美貌だけでなく、周囲に好かれる人となりの持ち主であったことが偲ばれます。

 

法金剛院は京都は嵯峨野にある律宗の寺院です。京都駅からJR嵯峨野線から徒歩で10分ほどの花園駅で降りれば、お寺はすぐそば。

 

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ここ法金剛院は待賢門院が信仰していた法華経の世界を現世に再現したかの様に、四季折々の花々が庭園を飾ります。特に見どころななのは、3月下旬の桜と6月下旬の蓮。

 

四季折々の華が楽しめるのに関わらず、あまり混雑していないところも、カメラ好きにはたまりません。

 

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待賢門院桜と呼ばれる桜は、濃いピンクに咲きます。名前の通り、本人もさぞ妖艶な方だったのでしょう。

 

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法金剛院の1番の見どころは蓮のシーズンで、蓮にはこんなにも種類があったのかと驚かされます。

 

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泥中にあっても清楚な花を咲かせる蓮は、仏教における悟りのモチーフ。失意のうちにあった待賢門院の祈りは今でもここに根付いています。

 

 

houkongouin.com

 

コロナの影響で閉まっていましたが、7月11日から拝観再開するそうです。

詳しくは下記リンクからご覧ください。

この時期ならギリギリですが蓮を見れるかもしれません

 

続きはこちら

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ニコニコに動画もあります

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【東方妖々夢と西行の歴史】虚構から史実を読み解く

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妖々夢は虚実入り乱れてるからこそ面白い


願わくは 花の下にて 春死なむ

その如月の 望月の頃

 

ある有名な歌聖はかく詠み、その通りに自身の生涯を終えました。

その見事な死に様に人々は大いに感動し、中には同じ桜の下で死ぬ者まで出る始末。

そんなことが繰り返されるうち、その桜は人を死に追いやる妖怪桜「西行妖」となってしまったのでした。

 

これは、言わずと知れたゲーム東方妖々夢のプロローグです。

 

妖々夢のプロローグが秀逸なのは、事実と虚構(フィクション)を巧みに織り交ぜている点で、和歌を詠んだとされる「ある有名な歌聖」にもモチーフがいます。

 

それは平安時代末期を生きた西行法師。生涯に2000首を超える和歌を残し、百人一首にも選ばれている彼には、冒頭の「願わくは」歌以外にも、桜と死にまつわる和歌があります。

 

仏には 桜の花を 奉れ

我が後の世を 人弔はば

 

これら2つの和歌はどちらも東方妖々夢のステージ開始時のカットインに登場しており、作品から西行の存在にたどり着くための手がかりとなっています。

 

 

また、その西行には娘がいたとされ、西行物語絵巻には西行が出家の際に娘を蹴り飛ばして出ていく様が描かれています。

 

この「蹴り飛ばされた娘」こそ、ある有名な歌聖の娘・西行寺幽々子のモチーフであることは言うまでもありません。

 

妖々夢のストーリーは事実と虚構によって彩られているのです。

 

原作者のZUNは、歴史的事実に幻想郷のエッセンスを加えた上で、このストーリー(=虚構)を私たちに提供してくれました。

 

それに対して私は、提供された側として逆のこと、つまり幻想郷の虚構から歴史的事実に触れていくことをしてみたいと思います。

 

それは、1人の歴史好きとして平安時代の出来事が現在にもつながっていることを実感することと、史実の視点から妖々夢のストーリーをより深く味わうことの二点を可能にしてくれると思うからです。

 

そのために、妖々夢のストーリーから下記の疑問を設定し、文献にあたったり、「聖地巡礼」を行いながらそれらの問いに答えていきたいと思います。

 

 

西行はなぜ、桜の下で死にたいと和歌を詠んだのか?

 願わくは 花の下にて 春死なむ

 その如月の 望月の頃

 

これは西行が死ぬ間際に詠んだ和歌と思われがちですが、実はそうではありません。73歳で生涯を終える西行60代の頃に詠んだ和歌です。なぜ彼は、死期を悟る前から死に様の歌を詠んだのでしょうか?

 

まずは、西行の生涯について、彼の和歌を参照しながら触れていきたいと思います。

 

西行の死は当時の人々にどのような影響を与えたのか?

妖々夢のストーリーでは、歌聖の死に様に感動して多くの後追いが出たとされています。ですが、宗教的に重要な役職についていたわけでもない西行の死が、多くの人々に影響を与えることなどありえたのでしょうか?

 

桜と満月の下での死は同時代の人々にどのような影響を与えたのかについて探ります。

 

③「西行の娘」は西行寺幽々子なのか?

 

出家に際して、娘を蹴り飛ばして出て行ったとされる西行。蹴り飛ばされた娘は、のちに亡霊となる西行寺幽々子なのか?

 

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正直、この問いに関しては参照できる文献が少ないのですが、その分想像の余地があると置き換えて考察してみたいと思います。

 

 

 

この試みが、より遠く、より深いところへ私を連れていってくれることを願って。

 

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西行が没した弘川寺(2019年3月 筆写撮影)

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【シャニマス元ネタ解説】杜野凛世 優勝コミュ

先の記事では、凛世のコミュと万葉集の解説を行いました。今回は、万葉集を代表する歌人、柿本人麿の和歌について触れていきます。

万葉の時代から現代に至るまで、和歌の中で評価の高い人麿ですが、凛世のコミュにおいても彼の和歌は非常に重要な場面で登場するのです。

それは、Wing優勝後の二入での会話。ストーリーのフィナーレを飾るこのコミュに人麿の和歌が引用されているのです。

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今回は人麿と彼の和歌について触れていきますが、人麿という人物は大きすぎるので、私自身捉え切れていない部分が多々あります。もし、あなたが興味を持たれたのであれば、歌集を手に歌枕を訪れてみることをお勧めします。

 

宮廷歌人 柿本人麿

万葉集を代表する歌人、柿本人麿は7世紀後半から活躍した歌人です。

7世紀後半と言いますと、天智天皇の死語、政治のあり方をめぐって、大友皇子大海人皇子が対決するという壬申の乱が勃発しました。(672年)

この戦いに勝利した大海人皇子は即位して天武天皇となり、天智天皇の急進的な政策を見直していくことになります。その結果として、天智天皇が開かれた大津京も荒廃していきました。

人麿には荒廃した大津京を訪れた時に詠んだとされる和歌があります。

 

楽浪の 滋賀の唐崎 さきくあれど 大宮人の 船待ちかねつ

(楽浪の滋賀の唐崎は幸にして以前のまま残されているが、

 宮廷人の船は戻ってこず、待ちくたびれている)

 

人麿にはこのように過ぎ去っていった人を悲しむ歌や、妻との別れを悲しむような歌が多いように感じます。

医療や情報通信がない古代では、死や別れは今よりも身近だったのでしょう。

 

ただし、人麿は悲しい歌ばかりを詠んでいたのではありません。天武天皇のあと、持統天皇の時代では、律令制度が整えられていきますが、その中で営まれる催事を喧伝するための和歌や、雄大な自然を詠んだ和歌が多くあります。

 

天皇の素晴らしい治世を詠んだ歌や、ダイナミックな自然の歌、死別の悲しみを詠んだ歌、この辺りが人麿の魅力かと思います。

 

和歌からコミュを読む

さて、今回取り上げる和歌は、自然を詠んだ歌のなかに含まれるかと思います。

 

天の海に 雲の波ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠るみゆ

 

訳をつけるまでもないかと思います。空を海に例え、そこに浮かぶ月や、星を船と林に喩えて読み、幻想的なイメージを創出していますね。私自身、この和歌を知ったのが高校生の時でしたが、本で読んだ時に、実際に見たこともない星空のイメージが広がったことを覚えています。

 

この和歌は人麿歌集に収録されているのですが、人麿歌集には他にも、

 

天の川 去年の渡りで 移ろへば 川瀬を踏むに 夜ぞ更にける

 

大船に 真楫繁貫き 海原を 漕ぎ出渡る 月人壮士

 

と言った、天の川をモチーフにした和歌がありますから、先の「天の海」歌の月の船には、彦星が乗っているのかもしれません。

 

このように、満点の星空を水面に例えて物語を展開する古代人の発想も素晴らしいですが、シャニマスのライターの発想力の凄さには驚かされます。

 

繰り返しになりますが、この和歌が登場するのは、Wing優勝後のコミュ。

 

私たちがライブ会場で振るペンライトを星の林に、

客席を照らすスポットライトを月の船に例え、

されに、舞台のアイドルの視点で7世紀に読まれた和歌を読み解くとは。

 

しかもこれ、シャニマスの開始時からあるコミュなんですよね。

 

【参考文献】

高松寿夫, コレクション日本人歌選001 柿本人麿, 笠間書院

中西進, 柿本人麻呂, 講談社学術文庫

 角川書店編, ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 万葉集, 角川ソフィア文庫

白洲正子, 私の百人一首, 新潮文庫

 

【こちらもどうぞ】

neuegeschichte.hateblo.jp

 

【関係ないけど】

滋賀県大津市にある近江神宮は、カルタ取りの全国大会や、ちはやふるの聖地として有名ですが、由緒としては 今回触れた天智天皇の遷都を記念して創祀されたとのこと。

 

2年前に写真を撮りに行った時は、シャニマスに繋がってくるとは思いもしませんでした。 

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【シャニマス考察】百人一首のススメ

凛世のコミュを考察するために、百人一首万葉集に手を出してみるのは非常に良い試みだと思います。凛世のコミュだけでなく、和歌の歴史に触れることは、非常に奥深く、面白いことですから。すでにお手元に歌集があるなら、それをぜひ読み進めていただきたい。ですが、凛世の元ネタを探るという意味では、お手元の歌集よりも、いいのがあるかもしれません。

 

さて、我らがアイドル杜野凛世は特技として百人一首を挙げています。

百人一首とは、鎌倉時代の初期を生きた藤原定家(1162~1241)が、宇都宮頼綱のために書いて送ったものとされています。宇都宮頼綱は藤原定家の息子の義理の父親にあたる人物。つまり、百人一首とは初めは、極めて私的な作品だったのです。

 

ですが藤原定家は「美の鬼」という異名があるほど、和歌に対する美意識が凄まじいお方ですから、この私的な作品はその中に、和歌の歴史や人物関係までをも含むことになったのです。そしてそれが後世に広がり、今ではかるた取りの競技にまでなりました。

 

ところで、一般的に百人一首といえば、定家が作ったとされる小倉百人一首をさすのですが、他にも同じ頃に成立されたとされる「百人秀歌」や、九代将軍足利義尚による「新百人一首」など、百人の一首づつを集めた歌集は数多く編纂されました。以下、この記事では特に断りの限り、百人一首は定家の小倉百人一首を指すものとします。

 

ところで、この百人一首に収録されている歌人で、凛世のコミュに引用されている例はどの程度あるのでしょうか。私が把握している限りでは下記のようになります。

(※モレがあればコメントで指摘いただければ幸いです)

 

 

・柿本人麿 「天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」 世界コミュ

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小野小町 「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを」

 朝コミュ 2番(解説はこちら

 

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元良親王 「詫びぬれば いまはた同じ 難波なる 身を尽くしてもぞ あはんとぞおもふ」微熱風鈴 みおつくし(解説はこちら

和泉式部 「とことはに あはれあはれは つくすとも 心にかなふ ものか命は」微熱風鈴 とことはに

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このうち、歌人と和歌の組み合わせが百人一首そのままなのは、元良親王の「詫びぬれば」しかありません。柿本人麿と小野小町和泉式部は、百人一首では別の和歌がとられているのです。

 

百人一首で採用されている和歌

三番 柿本人麿

「あし引の 山鳥の尾の しだりをの ながながし夜を ひとりかもねむ」

 

九番 小野小町

「花のいろは うつりにけりな いたづらに 我身よにふる ながめせしまに」

 

五十六番 和泉式部 

「あらざらむ この世のほかの 想ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」

 

このように、凛世のコミュで登場する和歌は、百人一首に限ったものではありません。例を挙げれば、下記の通りになります。

 

額田王 「漕ぎいでな」 優勝後コミュ

・紀野恵  「ゆめな忘れそ」 感謝祭

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与謝野晶子 「何となく」 凛世花伝 True

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これだけ見ると、平安時代から現代に至るまで、幅広い時代から採用されている。「嗚呼、これでは予習なんて無理ではないか」。そう思いませんでしたか?私も思いました。ある歌集を見つけるまでは。

 

平成新選百人一首

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これは、文字通り平成の時代(2002年)に編纂された、とりわけ若い人々を中心に、古典に親しむ切掛を提供することを目標とした歌集です。この歌集には、遥か古代のスサノオノミコトの和歌から、昭和天皇の御謹製までが収録されています。一方、小倉百人一首に収録されている和歌は平成新選百人一首では収録されていません。

 

例えば、小野小町は平成新選百人一首にも登場しますが、彼女の和歌は小倉百人一首に登場する「花の色は」とは別の和歌がとられているのです。

 

では、何が選ばれているのでしょうか?

平安時代の部の三首目にその答えはあります。

 

思ひつつ 寝ればや人の みえつらむ

夢と知りせば さめざらましを    小野小町

 

そう、凛世のコミュで採用されている和歌が収録されています。

またさらに、

 

記紀・萬葉時代の部、九首目

熟田津に 船乗りせむと 月待てば

潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな   額田王

 

 

明治・大正・昭和時代の部、十二首目

なにとなく 君に待たるる ここちして

出し花野の 夕月夜かな   與謝野晶子

 

そう、小倉百人一首では元良親王しか採用されていなかったのに対し、平成新選百人一首では三首が採用されています。

 

つまり、平成新選百人一首の採用率は小倉百人一首3倍!!

ということは、平成新選百人一首予習効率3倍!!!!

 

さぁ、ここまで来れば、もはややることはただ一つ、これまでの凛世のコミュで採用されている和歌たちの中から、共通項をあぶり出し、平成新選和歌集をみていけば、今後シャニマス に登場しそうな和歌が見えてくるのではないでしょうか。

 

これまでの採用歌には、おおむね下記のような傾向がありそうです。

・女性が詠んだ和歌が多い

・恋を扱った和歌、中でも成就する前のものが多い

 

今後は、平成新選和歌集から出てきそうな和歌の解説も行っていきたいと思います。下記にリンクを貼っていきますので、時々覗いていただければ、私のモチベーションにもなりますので、どうぞよしなに。

 

第一回 若山牧水(?)

 

 

 

 

 

 

さて、せっかくですので、筆者と和歌の話をさせてください。私、フルカワPは杜野凛世のコミュに焦点を当てる前は、西行法師の和歌を追っていました。

 

追っていたというのは、平安時代を生きた西行法師が訪れたという場所を、歌集を片手に巡ったのです。北は岩手の平泉から、京都の名所、南は和歌山の熊野で、西行も修行をしたであろう中辺路の40Kmを歩き切りました。

 

これは、東方シリーズに登場する西行寺幽々子西行の娘であり、西行法師を知ることで、東宝シリーズの解釈が深まるのではないか?というテーマから始めた試みでした。

 

これらの「聖地巡礼」を行う中で、和歌とは単なる三十一文字の言葉遊びではなく、歌人の心を保存する器であると感じるようになりました。

 

歌人の人生を知り、訪れた場所で、詠んだ和歌に触れる、そうすることで、たとえ平安時代と現代で千年の時が隔てられていようとも、歌人の心に触れることができる。しかもそれは、歌人が詠んだ和歌そのものではなく、私を通して解釈されるのです。

 

例えば、仕事帰りに思い出す西行の和歌があります

 

惜しむとて 惜しまれぬべき 我が身かは

身を捨ててこそ 身をも助けめ

 

この和歌を私が口ずさむ時、出世と出家に悩んだ西行の心が再生される。ただし、それは西行の心がそのまま再生されるのではなく、疲れたサラリーマンの文脈で再生される。それは、私に西行が寄り添ってくれるような感覚です。

 

このようにして和歌に触れてみると、和歌というものは決して、一度きりの、すでに終わったものではなく、後世の人間が語り継いで、心を通わせていくことで新たなページを加えていくものであるように思えたのです。和歌は教養のためにただ暗記するものではない。

 

凛世のコミュの中で和歌が登場のは、彼女に古典の知識が豊富にあるからではありません。凛世が和歌を思い出している時、彼女の心は歌人の心に触れているのです。歌人の心に触れ、彼女が何を感じているか、何を思っているか、について考えることは、シャニマスのコミュをより深く味わうだけではなく、些細ながらも和歌の歴史に新たな解釈を付け加えているのです。

 

参考文献

宇野精一, 平成新選百人一首, 明誠社

吉海直人, 百人一首の正体, 角川ソフィア文庫

谷知子編, 百人一首(全), 角川ソフィア文庫 

白洲正子, 私の百人一首, 新潮文庫

中西進, 柿本人麻呂, 講談社学術文庫

梅田卓夫, 文章表現 四〇〇字からのレッスン, ちくま学芸文庫

【シャニマスコミュ考察】杜野凛世 朝コミュ 夢と知りせば

シャニマス のプロデュースに慣れ、メモ帳がなくても朝コミュでパーフェクトの選択肢を覚えてしまった。そんなプロデューサーは私だけではないはずです。ですが、パーフェクトの選択肢以外も、実はなかなかに味わい深い。

 

今回は、凛世の朝コミュ②であえてノーマルをとってしまった場合の彼女のセリフを、   コミュに登場する和歌から読み解いていきたいと思います。アイドル育成の面から言えばハズレと言える内容でも十分に楽しむことができる。それがシャニマス の素晴らしいところです。 

 

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共通コミュ Morning②

「夢と知りせば」からはじまる朝コミュの選択肢で「歌人と同じ経験ができたんだな」を選ぶと、凛世の返答は「はい、ですが、少し切ない歌なのです、できることならこの歌のようには」となり、ノーマルコミュとなってしまいます。

 

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この和歌を読んだ歌人は、三大美女としても名高い小野小町

 

和歌は

思ひつつ 寝ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを

で、日本語訳は次のようになります。

 

あの人を思いながら眠りに落ちたので、夢に見たのだろうか。夢と知っていたのなら、そのまま覚めないでいたものを

 

幸せな夢から覚めてしまった気持ちを歌うこの和歌を、凛世はなぜ「少し切ない歌」と言ったのでしょうか?もう少し掘り下げてみていきましょう。

 

・不幸な美女

小野小町は9世紀ごろを生きたとされる女性ですが、その出自についてや本名はについては不明。美しく、恋多き人であったようですが、晩年は落ちぶれてしまったと伝えられています。類稀なる美貌を持ちながらも、幸せになれなかった女、それが小野小町なのです。

 

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また、彼女は和歌の名手で、凛世の特技でもある百人一首にも選ばれています。冒頭の和歌「思ひつつ 寝ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを」は古今和歌集に収録されていますが、この歌集が、小野小町に「不幸せな女」という強いイメージをつけ、凛世に「この歌のようなことには」と言わしめたのかもしれません。

 

古今和歌集

古今和歌集とは醍醐天皇(885~930)の勅命により制作された歌集です。天皇の勅命により作成される歌集を、勅撰和歌集といいますが、古今和歌集は最初の勅撰和歌集で、その後、応仁の乱まで歴代の天皇によって勅撰和歌集が編纂されました。

 

古今和歌集は全二十巻からなる歌集で、一 六巻が「四季」、十一 十五巻は「恋」をテーマに扱っています。他にも「旅」や「別れ」をテーマとした巻があります。

 

勅撰和歌集なだけあって、編者は構成にも注意を払っています。恋歌を扱った五つの巻も、ただ単に並べるのではなく、恋の段階で分類するという配慮がなされているのです。鈴木宏子著『「古今和歌集」の想像力』では恋歌五巻を下記のように分類しています。

 

恋一・・・逢わざる恋(その一)

恋二・・・逢わざる恋(その二)

恋三・・・初めての逢瀬とその前後

恋四・・・熱愛から離別まで

恋五・・・失われた恋の追憶

 

 ・和歌からコミュを読む

凛世が朝コミュで引用した小野小町の和歌は、恋二巻の冒頭を飾っているのです。巻のテーマは逢わざる恋、つまり二人が逢う(両思いになる)前の恋です。このことを踏まえれば、和歌の解釈はこのようになるのではないでしょうか。

 

あの人を思いながら眠りに落ちたので、夢に見たのだろうか。夢と知っていたのなら現実では会えない分も”そのまま覚めないでいたものを。

 

そう、この和歌はあの人と過ごす夢の世界の甘さを歌ったのではありません。「夢から覚めてはあの人と会うことができない」という現実の冷たさ、切なさを歌っているのです。

 

凛世はこの和歌の意味を理解していたために、「できることならこの歌のようには」と言ったのです。小野小町と違い、凛世は夢の外でも愛しい人に会うことができる。そこまで踏まえて、凛世は朝っぱらから「夢と知りせば」と言っているのです。ギュッとしたくなりますね。

 

ところで、このギュッとしたい感覚を味わうために、私たちはこのコミュでパーフェクトの選択肢、ひいては好感度+3の上昇を諦めなければならないのでしょうか?

 

そうではありません。和歌の解釈を踏まえると、パーフェクトコミュの凛世のセリフも、より一層重みがますはずです重い女っていいよね。

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さて、みおつくしの考察をはじめ、これまでみてきた通り、凛世のPに対するアプローチは和歌などの元ネタを通したものであり、直接的には届いていなかった感がありました。

ですが、GRAD編では大きく変えてきましたね。元ネタから読み解く、という楽しみ方は少し減ってしまいますが、これまでのすれ違いとは異なる展開に、今後も目が離せません。

 

参考文献

鈴木宏子, 「古今和歌集」の想像力, NHKブックス

角川書店編, 万葉集, 角川ソフィア文庫

小林大輔編, 新古今和歌集, 角川ソフィア文庫

白洲正子, 私の百人一首, 新潮文庫

日野原健司, 月岡芳年 月百姿, 青幻舎

 

番外編

今回扱った古今和歌集は最初の勅撰和歌集(帝によって制作が企画された和歌集)でした。タイトルに一文字加えた新古今和歌集という勅撰和歌集も存在します。

 

フルカワP個人的には、新古今和歌集が今アツい!

 

この和歌集は、三谷幸喜が脚本を手がける2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」において、ラスボスとなるであろう後鳥羽上皇により編纂されているのです。

 

また、この和歌集の中で最も多く取り上げられている歌人は、あるラスボスとも関わりが深いのです。

今後は、新古今和歌集の時代の記事も書いていきたいと思います。

シャニマス を始めとした現代の文化から、日本史の深みにハマっていく、そんな同好の士が増えることを願って・・・

記事ができたらリンクを下記に作成します。

 

 

 

【シャニマスコミュ考察】杜野凛世 水色感情

恋は何色?

杜野凛世のカードの中で、いや、シャニマスの中で最も人気のある「水色感情」(ファミ通5月号調べ)。そのコミュにはある楽曲が大きく関わっています。今回は、この楽曲をキーに、凛世のコミュについて掘り下げてみましょう。

 

・楽曲「恋は水色」の概要

Katariya氏の考察によれば、水色感情のコミュ名は全てレコードのタイトルから取られているとのことです。ですが、今回は登場するレコード全ての解説では無く、特に「恋は水色」に絞って考察を行いたいと思います。PSSRの名前が「水色感情」であることから、これらのレコードのうち、「恋は水色」こそ最も重要な楽曲と私は考えるためです。

 

さて、その「恋は水色」1967年に発表されたフランス語の楽曲で、元々のタイトルは「L'amour est bleu(らもーれ ぶるぅ)」。英語なら”Love is blue”、ドイツ語では”Liebe ist Blau”となります。日本語のタイトルをつける際に、”L'amour”を愛ではなく、恋と訳したところは「わかりみが深い」というヤツですが、その理由は追ってご紹介します。

 

この曲はユーロビジョン・ソング・コンテストに入賞し、ヒットチャートの首位を5週間キープしたのち、数多くのアーティストにカバーされました。私は無学ゆえ、フランス語はわからないのですが、それでもなぜか懐かしさを感じます。時代や言語を超えたメッセージ性こそ名曲たる所以なのでしょう。

 

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杜野凛世 水色感情

 

・水色はブルーか?

曲からコミュを読み解いていく前に、少しややこしい話をします。

「水色」や「ブルー」、「blue」と聞いたとき、貴方はどんな色を想像するでしょうか?特に意識しなければ、いつもおおよそ同じ色を想像するでしょう。

 

では、「水色」=「ブルー(blue)」でしょうか?

 

実はそうではありません。例えば、「彼女にふられて僕の心はブルーだ」とは言えて、彼が失恋に沈んでいることがわかります。一方、「彼女にふられて僕の心は水色だ」と言われても、いまいちピンときませんね。悲しんでいるのか、清々しい気分なのかよくわからなくなります。

 

同じ色を示す言葉でも、その言葉が持っている意味以外の部分、今回の例で言うなら「感情」でしょうか。そういった言語につきまとうイメージは実はそれぞれの言語で異なっているのです。

 

現に、L'amour est bleuの英語版”Love is blue”の歌詞は下記の通り、恋の悲しみに溢れています。冒頭のみ抜粋ですが、終始こんな感じ。

 

Blue, blue, my world is blue

Blue is my world now I’m without you

Gray, gray, my life is gray

Cold is my heart since you went away

 

私の世界は水色

あなたがいなくなってしまって、私の世界は水色

私の人生は灰色

あなたがいなくなってしまって、私の心はつめたい

 

 

 

一方、日本語での「恋は水色」の冒頭を見てみましょう。

 

青い空が お日さまにとける

白い波が 青い海に溶ける

青い海は 私の恋の色

青い海は あなたの愛の色

恋は水色 空と海の色

 

このように、日本語の歌詞には失恋の悲しさは全く登場しません。

同じものを指す言葉が、全て同じとは限らないのです。

 

 

・元ネタに当たってみよう

そう考えると、オリジナルの仏語であるblue=水色)にどんな感情が含まれているか探ってみることに価値があると思えませんか?私たちは、凛世のコミュを読む際、特に意識しなければ日本語の水色、もしくは身近な”blue”から考えているはずです。ですが、もし原曲の”bleu”に含まれる意味が違えば、新たな解釈が可能になるかもしれません。

 

また、凛世とPが鑑賞したレコードも、フランス語の”L'amour est bleu”でしょう。水色感情のコミュ冒頭で、凛世は英語の勉強をしていましたね。第五文型を翻訳していた彼女が、”Love is blue”を読めない事は考えにくい。このことから、レコードのタイトルはフランス語で表記されていたために意味がわからなかった、と考えるのが自然では無いでしょうか。

 

一体、彼女たちはどんな曲を聞いて、聞いていれば「何を」わかる気がしたのか、それを探るためにも、仏語の”L'amour est bleu”を聴くことは役に立ちそうです。

 

念のため断っておきますが、私は原曲を聞かずにコミュを語るな、と言いたいわけでは決してありません。ゲームをプレイした感想も大事であり、同時に元ネタからの発見も同様に大事である、これが私のスタンスです。

 

 

・元ネタから解釈してみよう

・1番の歌詞

Doux, doux, l’amour est doux

Douce est ma vie

Ma vie dans tes bras

Doux, doux l’amour est doux

Douce est ma vie 

Ma vie près de toi

 

甘い、甘い、恋は甘い

人生は甘い

あなたの腕の中の私の人生は

甘い、甘い、恋は甘い

人生は甘い

あなたのそばの私の人生は

 

Bleu, bleu, l’amour est bleu

Berce mon coeur,

Mon coeur amoureux

Bleu, bleu, l’amour est bleu

Bleu comme le ciel 

Qui joue dans tes yeux

 

水色、水色、恋は水色

私の心を揺する

恋する心を

水色、水色、恋は水色

空のような水色

あなたの瞳に映った

 

Comme l’eau

Comme L’eau qui court

Moi mon coeur

Court après ton amour

 

水のように

流れる水のように

わたし、わたしの心は

あなたの愛を追って流れる

 

 

一番では恋の甘さを歌っています。それは恋の始まりでしょうか?

ここでの水色は、水=生きるためになくてはならないものや、空=いつも私たちと共にあるもの、といったニュアンスでしょうか。英語版に描かれていたような悲しみのニュアンスは全く含まれていません

 

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風鈴の色は青

 

・2番の歌詞

Gris, gris ;’amour est gris

Pleure mon coeur

Lorsque tu t’en vas

Gris, gris le ciel est gris

Tombe la pluie

Quand tu n’es plus là

 

灰色、灰色、恋は灰色

わたしの心はなく

あなたが行ってしまって

灰色、灰色、空は灰色

雨が降る

あなたがいなくなって

 

Le vant, le vent gémit

Pleure le vent

Lorsque tu t’en vas

Le vant, le vent maudit

Pleure mon coeur

Quand tu n’es plus là

 

風が、風が唸る

風が泣く

あなたが行ってしまって

風が、風が呪う

わたしの心は泣く

あなたがもうここにいないから

 

1番から一点、2番の歌詞は恋の悲しみを歌っています。しかし、その色はブルーではなく灰色。大好きな貴方が居なくなって、悲しみを知って、心が泣くのです、ウミガメのように。凛世が「聞いて入ればわかる気が」したのは、このパートかもしれませんね。

 

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凛世花伝のコミュも灰色が多い

 

余談ですが、古今和歌集の恋の和歌も、相手に惚れるところから始まり、結ばれ、最後に別れる順番に配置されています。

 

このように、「恋」とは移ろいゆくものであります。冒頭で、L'amourを「恋」と訳した分かり味が深いとしたのも、この2番があるが故です。曲の中の「あなた」の挙動次第で心が揺れ動く様は「愛」よりも「恋」と訳すべきでしょうから。

 

・3番の歌詞

Fou, fou, l’amour est fou

Fou comme toi

Et fou comme moi

Bleu, bleu l’amour est bleu 

L’amour est bleu

quand je suis à toi

 

狂う、狂う、恋は狂う

あなたが狂う

わたしも狂う

水色、水色、恋は水色

恋は水色

わたしはあなたのものだから

 

(重複する歌詞は省略しています)

 

恋は狂う。私は恋に狂う。2番で行ってしまった「あなた」も恋に狂ってしまいます。

 

いきなり意味深な歌になりました。様々な読み方があるかとは思いますが、一度は離れてしまった二人が、再開の喜びに狂喜乱舞している、そんな感じでしょうか。何かの事情があって離れ離れになっていたのか、それともヨリを戻したのか、二人のシチュエーションに妄想が膨らみます。

 

・コミュを読む

では、最後に”L'amour est bleu”を踏まえてコミュを読んでみましょう。

これまで触れてきた通り、”L'amour est bleu”は幸せ一杯だった恋(恋の始まり?)から、離れ離れを経て、最後に再開しハッピーエンドを迎える歌です。

 

この曲自体が、これまでの凛世のコミュを象徴しているように思えませんでしょうか。

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Pの近くにいたい一心でアイドルを始めた凛世、ですが水色感情のラストでは、Pに「自慢のアイドル」と言われたことを大変喜んでいます。

一方、Pの方は、凛世のことを自分が一番わかっていないといけない、とこれまでとは少し変わったスタンスで考え始めるようになります。


曲の通り、ハッピーエンドを迎えるのか?それともいつまでもすれ違いを続けるのか?今後のコミュからも目が離せそうにありません。

 

追記

十二月短編はすれ違い継続。ハッピーエンドはまだ遠いのかもしれません

 

参考文献

Katariyaのアイマスブログ, 杜野凛世の水色感情とは何なのか?

katariya0116.hatenablog.com

林克彦編, 週間ファミ通 2020 5/7, 株式会社KADOKAWA

鈴木宏子, 「古今和歌集」の想像力, NHKブックス

 

 

春よ、来い

梅田駅の地下で、女性がピアノを弾いていた。

 

楽曲は松任谷由美の名曲「春よ、来い」。

 

幾度となく聞いた曲だが、やけに耳に残った。

 

彼女はなんとなくこの曲を弾きたかっただけかもしれない。

でも、私はその時ふと思ったのだ。

 

そうか、桜が満開を迎え、街に新人社員が溢れても、まだ春は来ていないのか。

事実、今年の桜を撮ることは諦めていたのだ。

 

そんな私を鼓舞するかのように、

もしくは、病の終息を切に願うかのように、彼女のピアノは鳴り響いていた。

 

表現することの意義が、受け手の心を動かすことであるならば、あのとき彼女は一流の演奏者だった。

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法金剛院にて 2019年春

春よ、来い

【シャニマスコミュ考察】月岡恋鐘 月の浜辺で待っとって

本当に欲しいものって、何?

限定恋鐘のコミュといえばTRUEコミュの「愛してる」。このセリフで血糖値が爆上がりしたPは私だけではないはずです。

 

ですが、この「月の浜辺で待っとって」には、それ以外にも魅力が詰まっています。キーワードは「本当に欲しいもの」。

 

このコミュでは、恋鐘が欲しいものを自分で手にしていく様が描かれています。それも、あの有名な輝夜姫との対比の通じて。今回は、甘々なだけでない恋鐘の魅力について簡単に解説していきたいと思います。

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月岡恋鐘 月の浜辺で待っとって

あえて簡単な、と断りました。今回のコミュも前回に引き続き、元ネタを知ることで何か新しい解釈ができないか?と思ってアレやコレや考えてみたのですが、最終的にとある結論にぶつかります。それは、

 

「こがたん、多分そんなに考えていないよね」

 

この二次創作者泣かせの事実に対して、私はどう立ち向かえばいいのか。逆立ちして出た答えが、「考えていないのにやっちゃう恋鐘、かっこいいよね」です。そう、結論はそれだけ。でも、誰かのインスパイアになればと思い、以下にまとめていきたいと思います。

 

竹取物語について

竹取物語は8世紀後半から9世紀前半に製作されたとされる作品です。作者については伝わっていませんが、日本初めての創作物語とも評されています。この名も知れぬ作者は日本各地にある様々な伝承と、当時の藤原政権に批判的な態度と、彼自身のユーモアをミックスして物語を創造しました。

 

月から堕とされたかぐや姫が求婚者たちに無理難題を吹っかけ、最後には月へ帰っていくストーリーはみなさんご存知の通り。近年でも映画になったりゲームのモチーフになったりと、その魅力は1,000年以上経っても色褪せてはいません。

 

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コミュの中での竹取物語について

では今回はその竹取物語が登場するコミュ、月岡恋鐘の「月の浜辺で待っとって」をみていきましょう。

 

冒頭は彼女が平安調の着物を着て写真を撮るシーンから始まります。この写真のおかげで、彼女は小さいながらも、舞台で竹取物語輝夜姫を演じる機会に恵まれました。

ですが、コミュの中でPと恋鐘は初詣に行ったり、福袋を買いに行ったりと、終始イチャついているだけのように見えます

 

TRUEでも練習に見せかけて「愛してる」と囁き合う始末。

結局、プレイヤーである私たちには、恋鐘がどんな舞台を演じたのか目の当たりになりません。ですが、舞台の本番を見なくとも、このコミュの重要な部分はすでに描かれているのですそれを以下に見ていきましょう。

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イチャつく恋鐘とP

 

 

恋鐘が舞台で演じるセリフに、次のものがあります。

 

「私はこの世のものではありません。私を手に入れたくば、蓬莱の玉の枝をご持参ください」

 

このセリフ、実は竹取物語には登場し得ないセリフなのです。竹取物語において、輝夜が蓬莱の玉の枝を所望する相手は倉持皇子。一方、自分が月から来た人間であることを明かすのは求婚者の中では帝ただ一人なのです。そのため、恋鐘が舞台で演じたかぐや姫のストーリーにはアレンジが加えられていることが推察されます。

 

ところで、輝夜は本当に蓬莱の玉の枝が欲しかったのでしょうか。答えはNO。五人の貴公子たちからの求婚を体良く断るために、それぞれに難題をふっかけているに過ぎません。

 

こうしてみると、先に触れたセリフは原作に登場しませんが、輝夜というキャラクターを大変よく表現していると思います。自分は男たちに靡く気が全くないのに、月に帰らなくてはならないからと理由をすり替え、蓬莱の玉という無理難題を吹っかけて、求婚を体良く断っていく。容量が良くてどこか冷めた女。それが輝夜姫なのです。

 

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輝夜のセリフ

 

冷めた女である輝夜にとって、蓬莱の玉の枝も、その他の珍しい品々も、本当に欲しいものではありません。

 

では、彼女にとって本当に欲しいものとはなんだったのでしょうか?

この問いにスポットを当てた作品こそジブリの「かぐや姫の物語」です。

 

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スタジオジブリ かぐや姫の物語

この作品の中では、竹取の翁がかぐやを一人前の姫になるように教育を施す様が描かれます。天真爛漫な彼女は、次第に立派な姫君になるように「強制」されていくのでした。

 

やがて翁の努力が身を結び、都の中で評判になったために、貴公子らの求婚を受けることになったかぐや姫ですが残念ながらそこに愛はありません。貴公子達は、言うなればコンプリート欲、美人であればとりあえず契っときたい、の心で求婚してきたにすぎません。

 

彼らとの対比として、かぐやは農民として暮らしていた頃の飾らない感性、四季を愛でる心や、コンプリートの対象でない人としての扱いを心の中では求めていたのです。

 

ですが、彼女は欲しいものを一切手に入れることはできず、それらを地上にすべて残して、月の世界に帰っていくのです。静寂が支配する月の世界では、心が動くこともないため、もはや「欲しい」と言う感情すら湧きません……

 

さて、翻って「本当に欲しいもの」をキーワードに「月の浜辺」を読み解いていきましょう。

 

月の浜辺のコミュ

ここからは、ゲームのコミュ内で輝夜を演じる恋鐘にスポットを当てていきましょう。

 

コミュで恋鐘は様々なものを所望します。大トロに始まり、福袋・おみくじ、コミュの詳細説明はゲームや動画で確認できるので、ここでは省略させていただきますが、自分が本当に欲しいものを自分で勝ち取っていく様が描かれていることがわかります。

 

おみくじだって、普通の人は一、二回引いたら満足するところを、恋鐘は大吉を引けるまで粘る。

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大吉が出るまで引くけん!

これが普通のコミュで描かれていれば、「恋鐘ってちょっと変わってるよね」で済むのですが、自分の欲しいものは何一つ手に入れることが出来なかった輝夜がモチーフのコミュで描かれていることに大きな意味があると思うのです。

 

「月の浜辺で待っとって」において、恋鐘が輝夜を演じるコミュです、ですが、二人の「欲しいものに対するスタンス」は全く違う。しかも、恋鐘自身は「輝夜姫を演じているから」とか「作品がどうだから」といったことは一切考えることなしに、ありのままの自分で、本当に欲しいものを求め、自分で手に入れていく。

 

恋鐘がリーダーとしている限り、L'Anticaは自分たちの欲しいものを、自分たちの力で入れていくはずです。宇宙一のユニットにだってなってくれるでしょう。

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大トロ ひゃくおくえん

愛してるのセリフ

最後に、恋鐘の台詞であり、輝夜のセリフでもある「愛してる」について考えてみましょう。

 

見落とされがちではありますが、輝夜が帝の求婚を断った後、二人は文を交わす間柄になります。これは単なるメル友(死語)ではなく、平安の時代では、心が通い合っている、と言っても過言ではありません。

 

Trueコミュにおいて恋鐘は「愛してる」のセリフを練習していますね。このことから、舞台で輝夜は帝に対してその思いを伝えると類推されます。こちらも、古典の竹取物語にはないシーンで、この舞台は、輝夜と帝の結ばれなかった恋を描いていると推測されます。

 

結局、月に帰っていく輝夜。もし、愛してるを"I want you"に置き換えてみれば、ここでも輝夜は欲しかったものを手に入れられなかったことになりますね。

 

ここまで述べてきた通り、「月の浜辺で待っとって」では、恋鐘と輝夜は対比して描かれていました。はてさて、これから恋鐘は一体誰を手に入れるのでしょうか?

 

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月の浜辺にて

 

まとめ

 

月岡恋鐘の「月の浜辺で待っとって」は、一見するとPラブ勢の甘々な日常を描いたコミュに見えます。

 

ですが、輝夜姫との対比の中に、恋鐘の「自分の欲しいものを自分で手に入れる」性向を描いた読み応えのあるコミュとなっています。

 

おそらく、恋鐘本人は輝夜の事は一切気にすることなく、心のままに求めている。それこそが彼女のリーダーたる所以なのでしょう。

 

動画
今回もニコニコ動画に解釈MADを投稿しています。

こちらもどうぞよしなに。

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参考文献

角川書店編, ビギナーズ・クラシックス日本の古典 竹取物語(全), 角川ソフィア文庫

室伏信助訳, 注新版竹取物語, 角川ソフィア文庫

江國香織, 竹取物語, 新潮社

坂口理子, かぐや姫の物語, 角川文庫

和田博文, 月の文学館 月の人の一人とならむ, 筑摩書房

日野原健司, 月岡芳年 月百姿, 青幻社

ラフカディオ・ハーン、池田雅之編訳,小泉八雲東大講義録,角川ソフィア文庫

梅田卓夫,文章表現 四◯◯字からのレッスン,ちくま学芸文庫